【42】  春雷といふももいろの音が過ぐ   細川加賀

「桃色」ではなく「ももいろ」。一応ここには「春雷」がメインとして描かれているわけであるが、その叙法が少々普通ではない。「ももいろの音」であるから、「春雷」それ自体の光を発している様子ではなく、基本的に「春雷」の音が中心の句ということになる。

「春雷」は、夏の雷ほど激しい性質のものではなく、すぐに鳴り止むことが多い。そういったソフトな印象ゆえ、まさにこの「ももいろの音」という形容は、「春雷」の轟きに相応しい表現であるといえよう。

また、「春雷」と「ももいろの音」という言葉の組み合わせからは、「ももいろ」の語句が花の存在を連想させるゆえと思われるが、井伏鱒二の訳「ハナ二アラシノタトヘモアルゾ」で有名な唐の于武陵の漢詩「勧酒」が想起されるところがある。

細川加賀の作品には、掲句のように「色彩感覚」や「光と影」の感覚に秀でた句が少なくない。例えば、〈今日塗りし月光の畦走りけり〉〈うすき月まとひて雁のかへりけり〉〈妻の唄袋被て桃透きとほり〉〈落梅の数日を経て掃かれけり〉〈青芒金星吹かれいでにけり〉〈若竹や連れ立つて来る白き雲〉〈ただよひて鴉ま青や半夏生〉〈柿ころげ古き畳となりにけり〉〈雪踏んで来てみ佛のかくまぢか〉〈青蛙とんで消えたるそこらかな〉〈桑の実の包みし紙を染めにけり〉〈金柑の木に実がのこり斑雪山〉など、いずれも視覚における鋭敏さが見て取れる作品といえよう。

また、掲句から感じられる「柔和さ」もこの作者の特徴のひとつに数えられるはずである。〈月まどか長い手紙を書きにけり〉〈ほのほのと橋が浮んで螢沢〉〈薪風呂の火の粉ふはふは夜の梅〉〈松蟬や絵本の雲のみな円く〉〈旅けふは眠くてならぬさくらかな〉〈頬杖や鳥雲にまた鳥雲に〉など、いずれも内容と併せて平仮名や擬態語の使用による柔かみが感取できよう。

視覚と柔和さ。このように見ると、こういった悠揚とした身体性を伴う感覚が、細川加賀の作品の基底を成しているのではないかという気がする。そして、掲句もまたこのような身体感覚が基となって生成された句であるように思われる。それこそ自らの感覚である聴覚と視覚が混然となって一句の上に表出されていることが理解できるはずである。この作者には他にも〈寒風を来し子に光る耳二つ〉〈吊橋や少女もろとも冬日跳ね〉〈大阪は月の濁りのひやし飴〉〈手紙読み海酸漿の香がしたり〉〈紅梅やきらきらと声とほりぬけ〉〈光琳の屏風の梅の香なりけり〉〈陶枕に固き頭を載せにけり〉〈病める歯の方より祭囃子かな〉〈葛城の時雨に濡れし言葉かな〉〈手紙書くきのふの千鳥きこえけり〉〈雁のきのふけふなる夜空かな〉〈手紙よりこゑが聞えて初諸子〉などといった、重層的な感覚を内包する作品がいくつか見られるが、やはりこういった表現については、自らの身体意識に対する深い感応なしには成し得ないものであろう。

細川加賀(ほそかわ かが)は、大正13年(1924)、東京生まれ。昭和18年(1943)、「鶴」の石野兌を知り俳句入門。昭和29年(1954)、「鶴」同人。昭和48年(1973)、第1句集『傷痕』。昭和55年(1980)、第2句集『生身魂』。昭和59年(1984)、「初蝶」主宰。平成元年(1989)、第3句集『玉虫』、10月逝去(65歳)。平成5年(1993)、『細川加賀全句集』。