【47】  木琴に日が射しをりて敲くなり   林田紀音夫

偶々のことであろう。普段は顧みることもない「木琴」に「日」の光が射していた。おそらくこの「木琴」は本格的なものではなく、家庭用の小さなものではないかと思われる。ふと、意識の裡に入り込んで来た「木琴」の存在に軽く心を動かされ、なんとはなしに先に珠のついた桴(ばち)で木製の音板を「敲」いてみる気になったのであろう。もとより演奏する気など毛頭なく、虚ろな響きが懈(たゆ)げに発せられるのみ。「鉄琴」の硬質な音ではなく「木琴」によるやわらかな音響ゆえ意識にさほど強い作用を及ぼすことなく、心は憂愁に占められたままということになるはずである。なんとも静かな空虚感に満ちた一句といえよう。それこそここからは、うっすらと「木琴」に積もっていた埃が「日」の光りの中にかすかに舞い上がってゆく様子までもが目に浮かんでくるところがある。

掲句は無季の作品であるが、この作者には他にもこういった無季の句が〈歳月や傘の雫にとりまかる〉〈竹伐りしあと一切がわれに帰す〉〈釘錆びてゆけり見えざる高さにて〉〈棚へ置く鋏あまりに見えすぎる〉〈無聊にて運河の撥ねし日に射らる〉〈煙突にのぞかれて日々死にきれず〉〈隅占めてうどんの箸を割損ず〉など数多く見られる。

こういった無季の作品からは、それこそ現実そのものの形象がそのままこちら側まで迫って来るように感じられるところがある。ここからは、まさに作者のリアルに徹しようとする指向性をそのまま感取することができよう。他にも〈なほ焦土蹠冷たく橋を越ゆ〉〈汚されし川が朝より流れをる〉〈夜暑く人らときどき立ちあがる〉〈降る雪の徐々に地上の形なす〉〈月に染むさむかぜに頬殺がれけり〉〈雷鳴が渡りさびしき肋せり〉など、強い現実感を伴った作品が少なくない。

しかしながら、林田紀音夫の本質というものは、単にこういった現実の世界を直載に捉えようとする指向性のみならず、むしろ作者の内実の部分において見出すことができるのかもしれない。掲句からも見て取れるように、この作者の根底に内在しているのはそれこそ「かそけさ」とでもいうべき性質のものであるように思われる。例えば、掲句以外にも〈月光のをはるところに女の手〉〈身辺の夜も紙風船ころがり〉〈七輪に紙燃やすけふありしかな〉〈青空のけふあり昨日菊棄てし〉〈玉虫を見てよろこびとするに足る〉〈薬包紙に過ぎざれば燃え尽す〉〈息白く打臥すや死ぬことも罪〉〈鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ〉〈日の当る鶏遠くへは行けず〉〈黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ〉〈滞る血のかなしみを硝子に頒つ〉〈幽界へ氷片のこすウイスキー〉〈乳房をつつむ薄絹夢の軍楽隊〉など、いずれの句にも存在そのものが抱えているあやうさをそのまま見出すことができよう。

現実の脅威と、それを前にしてのまるで「かげろう」のような自らの生。林田紀音夫の作品は、基本的にこういった関係性の上に生成されたものといえるはずである(特に第1句集『風蝕』の時期)。そして、このような状況下において成された作品からは、それこそ作品を書くという行為の切実さというものが、ある実感を伴って直截に感じられるところがある。

林田紀音夫(はやしだ きねお)は、大正13年(1924)、京城生まれ。昭和12年(1937)、句作開始。昭和17年(1942)、「琥珀」「火星」などに投句。昭和22年(1947)、下村槐太に師事。昭和25年(1950)、日野草城の「青玄」に投句。昭和28年(1953)、「十七音詩」創刊。昭和33年(1958)、「風」同人。昭和36年(1961)、第1句集『風蝕』。昭和37年(1962)、第1回現代俳句協会賞。「海程」創刊同人。昭和45年(1970)、戦後俳句作家シリーズ『林田紀音夫句集』。昭和50年(1975)、第2句集『幻燈』。平成10年(1998)、逝去(74歳)。平成18年(2006)、『林田紀音夫全句集』(福田基編)。