【48】  月明き浜に流木曳きしあと   上田五千石

秋の夜の浜辺には、おそらく人の姿は殆ど見当たらないであろう。そのような広い空間を月が皓々と照らしている。動きを伴って見えるのは波の満ち引きのみであり、あとは空と海と砂浜だけが夜闇に広がっていると見ていいであろう。その月明りの下、砂浜に一条の線を引いたような跡が残っている。

ここで「流木」を「曳」いていったのは、当然ながら人と考えるのが妥当であろう。それは作中主体の「私」であるのか、それとも他の誰かの手によるものであるのか。そういった具体的な部分については不明であるが、月明りの射している砂浜に残された一条の軌跡には、その質感や陰翳のゆえか、何かしら心を惹かれるものがある。また、ここからは〈ひるがほのほとりによべの渚あり 石田波郷〉〈月光に深雪の創のかくれなし 川端茅舎〉あたりの作品が思い浮かんでくるところもある。

この五千石の句から感じられるのは、ある種の繊細さといえようか。掲句は、第1句集『田園』収載の作品である。この句集には、掲句に見られるような繊細な感覚というものが横溢している。例えば〈ゆびさして寒星一つづつ生かす〉〈木枯に星の布石はぴしぴしと〉〈オリオンの方舟西下して寒し〉〈白露や無言を応へなしとせる〉〈流水のかくれもあへずいなびかり〉〈白光のレールを月に向はしむ〉〈かりそめの生のなかばに焚火爆ぜ〉〈かたつむり殻の内陣透けゐたり〉などといった句が見られる。

こういった繊細さは、時として「危うさ」さえ感じさせるところがある。〈いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに〉〈萬緑や死は一弾を以て足る〉〈結氷を迫らるる湖半生過ぐ〉〈蟾蜍人生に出遅れしかな〉〈寒昴死後に詩名を顕すも〉〈はじまりし三十路の迷路木の実降る〉〈極寒のオリオン誰の首枷ぞ〉〈みづからを問いつめゐしが牡丹雪〉〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉など、これらの作品の上には、それこそ焦燥感といっていいものすら見て取ることができよう。

他に、〈朝露よばら色の豚小走りに〉〈オートバイ荒野の雲雀弾き出す〉〈雲割つて先駆の光つばくらめ〉〈水甕の水にさゞなみ初蛙〉〈貝遠く光れるために冬浜ゆく〉など、一見あまり繊細さとは無関係であるような作品でも、よく見てみるといずれの句にも微妙なかたちで繊細さが内在していることがわかるはずである。

このように見ると、こういった危ういまでに研ぎ澄まされた感覚が、『田園』における上田五千石の作品の上に緊張感と瑞々しさを賦与する結果となっていたのではないかと思われる。『田園』は全212句によって構成されており、現在から見ると所々若干古びている部分も見られるが、句集全体における作品の持つ魅力はいまだに損なわれていないといっていいであろう。

上田五千石(うえだ ごせんごく)は、昭和8年(1933)、渋谷に生まれ。昭和29年(1954)、秋元不死男に出会い「氷海」に投句。「子午線」にも参加。昭和30年(1955)、「天狼」に投句。昭和43年(1968)、第1句集『田園』。第8回俳人協会賞。昭和48年(1973)、「畦」創刊、主宰。昭和53年(1978)、第2句集『森林』。昭和57年(1982)、第3句集『風景』。平成4年(1992)、第4句集『琥珀』。平成5年(1993)、『春の雁』。平成9年(1997)、逝去(63歳)。平成10年(1998)、遺句集『天路』。平成15年(2003)、『上田五千石全句集』。