ここもまた誰かの故郷氷水 神野紗希

 勝手な解釈だが、「ここもまた誰かの故郷」は旅先での感慨のような気がする。夏の午後、旅の途中でひと休みしながらかき氷を食べていると、それまで旅の楽しさに浮き立っていた感情が次第に静まってきた。そしてあらためて周りの風景に目をやった時、「ここもまた……」という感慨が呟きのように口から漏れた。そんなふうに私はこの句を受け取っている。

「ここもまた誰かの故郷」と言うときの「誰か」は、作者と同じように故郷から遠く離れた場所にいると考えられる。つまり、作者も「誰か」も共に旅人なのである。ひとりの旅人が、まだ会ったことのない、そしてついには会うこともないであろう別の旅人のことを、ふと思う。しんと心が静かになる。

 勝手ついでにもう一つ言わせてもらえば、「氷水」とは本来かき氷のことを意味するが、ここでは文字通り、氷を浮かべたコップ一杯の水として鑑賞したい思いを捨て切れない。結露に濡れたコップの氷水、その澄んだ感じが、淡い旅愁に通い合う。