【58】  白鳥の首の中の弥勒かな   寺井文子

ここでの「首」は、「くび」ではなく「こうべ」と読むのであろう。「こうべ」には、「頭」と、もう一つこの「首」による漢字表記が存在する。当然ながら、この語は、頭部のことを意味するものとなる。

「弥勒」は、釈迦に次いで仏になると約束された菩薩であり、兜率天に住んでおり、釈迦入滅後56億7000年後にこの世へと下生し、釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく救済する未来仏であるとのことである。

「白鳥」は冬の季語である。全身を白い羽に覆われ、まるでカーブを描くかのような長い首の上に小さな頭部が黄色い嘴を伴って附置されている。その頭部の中に「弥勒」が存在しているという。あの白く小さな頭の中に、「弥勒」が温顔を湛えて鎮座している様子を思い描いてみると、なんとも思惟的で、瞑想的な感覚へと誘われてゆくところがある。

また、中七を「頭の中」ではなく、「首の中」と表現したところにも作者の作品に対するこだわりが窺えよう。もしこれが「頭の中」という常凡な表現を採っていたならば、掲句は単に散文的で図式的な作品に終始することとなり、一句は遂に生起し得なかったはずである。

「白鳥」と「弥勒」の組み合わせからは、なんとも優美で柔かな印象を受けるところがある。掲句は、作者の第2句集『弥勒』所載のもので、集中には昭和37年(1962)から昭和54年(1979)までの162句が収録されている。病弱であった寺井文子は、この句集を「いのちの形見」のつもりで纏めたという。

『弥勒』には掲句のような柔和な雰囲気の句が、他にも〈ひと生れひと死す街の雪明り〉〈やはらかき魚の産卵天の川〉〈渡り鳥しづかにわたる羽に遇ふ〉〈月光を蔓はゆるみて曲るなり〉〈夢殿やしぐれのあとの風が吹く〉〈鳥一羽ちらつきにけり天の川〉〈鹿伏して地をいつくしむ薄霞〉など、いくつか確認することができる。

また一方で、同じく掲句にも共通するフィクショナルな傾向というか、それこそ巫女的な雰囲気を感じさせる句の存在も少なくない。〈一夜経て姥となりけり桃の花〉〈月光に酔ふひとすぢの紐があり〉〈抽斗に絣ふれあふ虎落笛〉〈神代杉なかほど霞みひとり言〉〈昼顔の蹄のつづきゐたりけり〉〈いづこより来てまばたくや秋の暮〉〈高曇り形代とほくうらがへり〉〈とこしへにめし屋の見ゆる沖時雨〉〈洛中は昏れて水仙ただよひけり〉〈山山に月光そそぐ和合神〉など、いずれもどこかしらこの世の景を基底としつつも、その一方でどこかしらもう一つの世界へと繋がっているような雰囲気がある。

このように見ると、寺井文子という作者は、柔和さを伴う嫋やかな感覚を基底としつつも、時に神代や説話の世界にも通底するような想念の世界にまで踏み込み、ある種の郷愁を伴った特異な作品を現出させ得た異色の俳人ということができるように思われる。

寺井文子(てらい ふみこ)は、大正12年(1922)、神戸市生まれ。昭和21年(1946)、日野草城に師事。昭和23年(1948)、神生彩史の「白堊」に投句。昭和31年(1956)、草城没後、彩史に師事。昭和37年(1962)、第1句集『密輸船』。昭和41年(1966)、彩史没後、永田耕衣の「琴座」入会。昭和45年(1970)、桂信子の「草苑」創刊に参加。昭和54年(1979)、第2句集『弥勒』。平成12年(2000)、逝去(78歳)。平成13年(2001)、『寺井文子遺句集』(編集 田畑耕作)。