【66】  男と男山にかくれて囲碁するなり   阿部完市

まさに「浮世を離れた世界」といっていいであろう。「男と男」の関係性が描かれた内容でありながら、あまりドラマ性などの生々しい雰囲気が稀薄であるのは、「山」という人の世界から割合離れた場所が舞台であることと、それに加えて、中国の仙人を連想させるいくらか超俗性を伴った「囲碁」という言葉の作用ゆえということになるのであろう。何処とも知れない「山」の中で囲碁を打つ二人の男の姿からは、それこそ仙境の世界がそのまま思い起こされるところがある。また、掲句についてはそれと併せて、無季であることが、より現実の世界からの隔たりを印象付ける結果となっているといえよう。

 

思えば、阿部完市の俳句には、随分と浮世離れした感のあるものが多く見られる。例えば〈私の島ではればれ燃える洗濯屋〉〈神話の店でさやさやパンを焼くけむり〉〈栃木にいろいろ雨のたましいもいたり〉〈男ありむさしをあるく銀狐つれて〉〈天の原白い傘さして三月〉〈一泊す白けむりまであるいてついて〉〈かんたんをきく会のありゆらりと日〉など、まさに現実の世界から遊離したような作品世界が展開されている。

 

その中において、阿部完市の作品には、「遠くの場所」へと向かってゆこうとする意志を伴った句が頻出する。例を挙げると〈冬鳥よ飛んで帰郷かもしれぬ〉〈九月みにゆくきれいな一騎にさそわれて〉〈にもつは絵馬風の品川すぎている〉〈淡路島と色彩学とはるかなり〉〈沙河へゆきたし六月私は小馬〉〈あまざらしの幾山こえて王都にかえる〉〈北京昼月鵲のゆくところかな〉〈ばると海という海がみたくておよぐ〉など、いずれの作品もどこか遠いところにある世界に対する思いが内在しているといっていいであろう。こういった傾向性については、現実の世界における実際のある特定の場所を目指しているというよりも、むしろ精神の原郷ともいうべき場所、即ち幼年の世界へと遡行しようとしているのではないかという気のするところもある。

 

また〈とんぼ連れて味方あつまる山の国〉〈葉のかたちのトーストいちまい青森にて〉〈木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど〉〈山積みのもののうえなるつるのくに〉〈誰彼私はりはりわたるひたちかな〉〈ねぱーるは益鳥とんでいるくになり〉〈飛驒にいてなつめきれいにきれいに煮え〉などといった句が見られるが、これらの作品には、「山の国」、「青森」、「アフリカ」、「つるのくに」、「ひたち」、「ねぱーる」、「飛驒」など、仮象されたかたちではあるものの作者の「目指している場所」というものが、句の上においてひとつのかたちを以て現出しているように思われる。

 

掲句の「山」にしてもそうであるが、阿部完市が俳句作品として描き出そうとしていたのは、ここではない別の場所の風景、それこそ自らにおける「理想郷」であったのではないかという気がする。

 

 

阿部完市(あべ かんいち)は、昭和3年(1928)、東京生まれ。昭和25年(1950)、句作開始。昭和26年(1951)、日野草城の「青玄」入会。昭和27年(1952)、西村白雲郷の「未完」入会。昭和28年(1953)、高柳重信の「俳句評論」入会。昭和33年(1958)、『無帽』。昭和37年(1962)、金子兜太の「海程」入会、同人。昭和45年(1970)、『絵本の空』。昭和49年(1974)、『にもつは絵馬』。昭和53年(1978)、『春日朝歌』。昭和58年(1983)、『純白諸事』。平成3年(1991)、『軽のやまめ』。平成15年(2003)、『阿部完市俳句集成』(沖積舎)。平成16年(2004)、『地動説』。平成21年(2009)、逝去(81歳)。同年、『水売』。