【74】  海亀のうかんで星のひかる夜   今井杏太郎

ぷかぷかと水に浮かんでいるような感覚。「海亀」は、当然ながら海に棲息している大型の亀であり、その甲羅の全長は、小さなものでは60センチ、そして大きなものでは2メートルにも及ぶとのことであるが、おおよその個体は大体1メートル程度であるようである。一応俳句では、夏の季語ということになる。

ここに描かれているのは、夏の海に浮かんでいる「海亀」とその上に広がる夜空のみということになる。ただ、句中における上五、中七の「う」の頭韻と、「うかんで」、「ひかる」という平仮名表記の働きゆえ、どこかしら現実の景というよりも、そういった属性からいくらか遊離しているような印象を受けるところがある。それこそまるで「一枚の絵」のように見えるのである。

今井杏太郎の師は、石田波郷門の石塚友二であり、いうならば「和の系譜」となるわけであるが、その作品を見ると、どちらかというと洋風の雰囲気が割合強く感じられる。掲句してもそうであるが、他にも〈人のゐるところに春の水たまり〉〈むらさきのいろを思うてくさめかな〉〈うすあをき影あり冬の木と思ふ〉〈夏逝くか水のゆらぎも星に見ゆ〉〈涼しさの夢のながれてゐるゆふべ〉〈湯ざめをしてもひとり夜は水のやう〉など、それこそ俳句というよりも「詩」に近いところがあるといっていいであろう。

これは、やはり作者が一時期「船乗り」であったことと、また「精神科医」でもあったというやや特異な経歴がいくらか影響を及ぼしているのかもしれない。単純に考えるならば、その作品における西洋的な趣きは「船乗り」の要素と少なからず関係があるように思われる。例えば〈よこはまの港に降つて春の雪〉〈紫陽花や海のむかふは海の国〉〈黄色い帆赤い帆二つともヨット〉〈色鳥や夕日の見ゆる海の町〉〈春風に吹かれて貨物船の来る〉など、船や水(海)に関する句が少なくないが、ここからはそれこそ「港町」的なモダニズムの雰囲気が感じられるといえよう(育った場所も海に近いという)。

あと、その作品は〈ももいろの落葉を焚けば燃ゆるなり〉〈揺れながら波に眠れば蝶の夢〉〈目をかるくつむりてゐたる風邪の神〉〈きつね火の富士の裾野をゆくころか〉〈美しき寒さに風の又三郎〉〈野佛のほほゑめば秋風の吹く〉など、童話の世界に近い側面も見られるが、これはやはり精神科医ゆえのものであるように思われる。この点については同じく精神科医であった阿部完市の世界とも共通するものといえよう。ただ今井杏太郎の作品は、阿部完市の能動的な世界とはいくらか異なり、基本的に淡彩画のような穏やかな世界が描出されている。

『俳句』平成4年(1992)4月号(角川書店)の「クレヨンの絵は濃くなければならないか―私の俳歴一通」に、昭和30年頃、急にどこか遠いところへ行きたくなって船乗りになった、という本人の記述が見られる。思えば、この作者からは、まるでどこか遠くの場所にいる「船乗り」のように、師系からも、世の喧騒からも、そして作品においては「私」からも遊離して、ゆるやかに浮揚しているような印象を受けるところがある。

今井杏太郎の作品は、極めて侠雑物の少ない純粋な世界といえよう。そして、そのことが美点であると同時に些かの欠落感を作品の上にもたらしているようにも見える。ただそれであっても、その作品世界というものは、どこまでも静謐でささやかな「やすらぎの空間」であるということができるであろう。

今井杏太郎(いまい きょうたろう)は、昭和3年(1928)、千葉県生れ。旧制中学時代、大原テルカズに俳句をすすめられる。昭和44年(1969)、「鶴」入会、石塚友二に師事。昭和61年(1986)、『麦稈帽子』。平成4年(1992)、『通草葛』。平成7年(1995)、「鶴」退会。平成9年(1997)、「魚座」創刊、主宰。平成12年(2000)、『海鳴り星』。平成17年(2005)、『海の岬』。平成19年(2007)、「魚座」終刊。平成21年(2009)、『風の吹くころ』。平成24年(2012)、逝去(84歳)。