一見、やや得体の知れない印象を受ける作品といえよう。まず、「辵(しんにゆう)」という言葉が随分と異色であり、そのあとに「首」の存在が出てくる。そして、一句は「わたくしは」という主語で始まっているわけであるから、これらの言葉との関係性については、俄かには判然としないところがある。
しかし、作者名の方に注目するならば、このやや晦渋な表現の意味するところも理解し得るであろう。約(つづ)まるところ、ここにおける「わたくし」は、そのまま作者自身のことを指すものといっていいはずである。解説をすれば、「辵(しんにゆう)に首」であるゆえ、これは漢字の「道」そのものを意味する表現であり、まさに作者の姓名である「澁谷道」における名前の部分とそのまま符合するということになる。
そもそも「道」という漢字は、古代中国が起源のものであるとされている。当時、他民族のいる土地には、様々な邪霊が跳梁跋扈しており、それゆえ非常に危険な場所であったという。そのため、そういった土地へと入る際には、魔除けとして異族の者の首を手に携え、その呪力によって邪霊を祓い清めて進んだといわれている。そして、その様子を表象したものが、この「道」という文字であるとのことである。
「萱野」の「萱」は、薄、茅、菅などの総称で、秋の季語ということになる。「萱」の皮膚に触れる感触と、手にした「首」の重み。こういった手応えや実感の存在が、掲句における臨場感をもたらしている部分があるといっていいであろう。そして、下五「萱野を分け」の表現における、「分け」と六音の字余りが、己の目指す場所を自らの手で「分け進んで」行こうとする意志の強さをそのまま感じさせるところがある。
ともあれ、ここにおいては、自らの存在を、首を手にして未知の場所をひた進む古代の人物に擬しているわけであるから、なんともすさまじい内容の一句といえよう。
思えば、この作者の作品は、掲句のように、どこかしらもう一つの別の世界の風景がこちら側に覗いている、とでもいったような趣きのものが少なくない。例えば〈右手つめたし凍蝶左手へ移す〉〈枯野往診星等率き連れ魔女めきて〉〈木洩れ日は鳥のたましい肩にあそぶ〉〈鬣(たてがみ)ふる夢に紅花一駄負い〉などの句からは、割合幻想的な雰囲気を強めに感取できるところがある。
ただ、こういった幻想性に加えて、掲句にも見られるような土着的な性質、もしくは古代の匂いを感じさせる作品の存在もこの作者には随分と存在する。例えば〈灰のように鼬のように桜騒〉〈吹きぬけてオオカミ消える鳥居道〉〈壺生まれ丹波は青あらしの巣〉〈齢闌けて吹雪のように踊るかな〉〈鹿老いてひかるぬた場を立ちあがる〉〈花茣蓙を巻き寝のわれは落し文〉など、ここからは、単に華やかで甘美な幻想性のみが描出されているというよりも、そのような位相をさらに超越した地点において獲得された表現の強靭さというものを見て取ることができよう。このような幻想性と土着性の融合から派生する香気を伴ったポエジーが、澁谷道の作品の基底を成しているところがある。
澁谷道は、元々前衛俳句の出身であり、長い歳月にわたって、掲句に見られるような強固な意志や矜持によって、硬質な美意識に彩られた特異な言語空間を切り拓いてきた作者ということができるはずである。
澁谷道(しぶや みち)は、大正15年(1926)、京都府生まれ。平畑静塔に師事。「雷光」「夜盗派」「縄」同人等を経て、昭和52年(1977)、「海程」参加。昭和41年(1966)、『嬰』。昭和52年(1977)、『藤』。昭和54年(1979)、『桜騒』。昭和58年(1983)、『縷紅葉』。昭和61年(1986)、『紫微』。平成3年(1991)、『素馨集』。平成6年(1994)、『紅一駄』。平成8年(1996)、「紫微」創刊代表、『蕣帖』。平成16年(2004)、『鴇草紙』。平成20年(2008)、『(えび)』。平成23年(2011)、『澁谷道俳句集成』。平成24年(2012)、第46回飯田蛇笏賞。