【85】  熱湯は連珠のごとし山霞む   宇佐美魚目

厨房などで湯を沸かしている情景であろうか。当然のことながら、水の沸点は摂氏百度となるわけであるが、ここでは、その煮え滾っている水の状態を「連珠」のようと捉えたところに意外性があるといえよう。たしかに「熱湯」の沸きたっている状態は、球体の気泡が、まさに「連珠」という言葉の通り次から次へと絶え間なく水面に生まれ続けているように見える。

「連珠」という言葉の意味は、基本的に「珠をつなぎつらねること。また、そのつないだ球」であり、また「美しい詩文の形容に用いるもの」でもあるという。まさに沸き立つ「熱湯」の在りようを形容するのにふさわしい言葉といえるわけであるが、また、それと同時にこの「連珠」という言葉からは、どこかしら神々しい雰囲気がいくらか感じられる側面があるといえよう。思えば、そもそも「珠(玉)」という言葉は、「魂(たま)」に由来するものであり、そこから仏教などの宗教性にまで思いの及ぶところがある。

また、下五「山霞む」の働きにも注目したい。まず、「霞む」が春の季語ということになる。そして、ここでは、「熱湯」から立ち昇る湯気が、そのままあたかも春の「山」全体を覆う「霞」の出処であるかのように誇張されて表現されている。こういった眼前の事象から、「山」という大景にまで波及する飛躍を伴ったイメージについては、フィクションであるとはいえ随分と壮大な趣きのあるものといえよう。そして、それが中七の「連珠」の印象と相俟って、まさに超俗性とでもいうべき雰囲気が一句の内に濃密に漂う結果となっている。

掲句の世界は、それこそ虚の領域にまで踏み込んでいるわけであるが、こういった側面が宇佐美魚目の作品における一つの特徴となっている。例えば〈滴りの巌の夜空の如く濡れ〉〈一睡のゆめ木賊より鶉出て〉〈瓜食めば昼ありありと天の川〉〈最澄の瞑目つづく冬の畦〉〈雪兎きぬずれを世にのこしたる〉〈初夢のいきなり太き蝶の腹〉〈紅梅や謡の中の死者のこゑ〉など、いずれも単なる現実の事象をそのまま描写したものとは異なる性質のものであることが見て取れよう。

また、掲句にしてもそうであるが、宇佐美魚目の作品は、全体的に「白」もしくはそれに近い要素が基調となっているものが多く見られる。〈霜柱鶏鳴遠ちの白さより〉〈白屏風谷の魚どちさびはじむ〉〈白昼を能見て過す蓬かな〉〈短日の兎に白き山ばかり〉〈東大寺湯屋の空ゆく落花かな〉〈凍蝶のおしろいの顔夢に入り〉など、いずれも淡い色合いによる幽玄な雰囲気を有した作品といっていいであろう。

このように見ると、宇佐美魚目は、現実の風景をそのまま直載に描写するというよりも、それと併せて虚の要素をも包含することによって、現在や過去ともやや異なる「非時(ときじく)の世界」を現出させようとする指向性を有した俳人といえるように思われる。

宇佐美魚目(うさみ ぎょもく)は、大正15年(1926)、愛知県名古屋市生まれ。昭和21年(1946)、橋本鶏二、高浜虚子に師事。「牡丹」、「ホトトギス」に学ぶ。昭和32年(1957)、橋本鶏二「年輪」創刊、編集を担当。昭和33年(1958)、第1回「四誌連合会賞」受賞。昭和34年(1959)、第1句集『崖』。昭和38年(1963)、「青」同人。昭和50年(1975)、第2句集『秋収冬蔵』。昭和55年(1980)、第3句集『天地存問』。昭和59年(1984)、「晨」創刊、発行同人。第4句集『紅爐抄』。平成元年(1989)、第5句集『草心』、『宇佐美魚目作品集』。平成8年(1996)、第6句集『薪水』。平成22年(2010)、第7句集『松下童子』。