【86】  夢に舞ふ能美しや冬籠   松本たかし

よく知られているように松本たかしは、能役者の家の長男として出生した。父は宝生流の松本長。幼少の頃から能の稽古を行っていたそうで、それゆえ多くの俳人たちとは異なる、極めて特殊な環境を出自とする俳人ということになる。また、小説家の泉鏡花(一八七三~一九三九)とは、従兄弟の関係にあたるという。思えば、鏡花、たかし共に蒲柳の質といった趣きがあり、各々の作品にしても、その古風な雰囲気と夢幻の世界を思わせる点において一脈相通じるものがあるといえそうである。

能役者となることが、生来より予め定められていたわけであるが、一四歳で肺尖カタルを患い、その後神経衰弱などにより、能役者になることを断念。二〇歳の頃から本格的に俳句に取り組み、昭和四年(一九二九)には、「ホトトギス」の同人となっている。

掲句は、句集『石魂』収載のものである。松本家は代々シテ方の名手であったという。シテは、古くは「仕手」「為手」とも書き、能における主役のことで、基本的に舞台の中心となり演舞を行う。シテ方は夢幻能が特色とのことである。霊、神、鬼、精などに扮し、華麗な衣装を纏い能面を付けて舞うため、人としての印象は稀薄となり、まさにこの世ならぬ雰囲気が感じられることとなる。それゆえ掲句における「美しや」の修辞については、やや過剰ともいえる表現ながら必ずしも上滑りしたものとはなっていない。

掲句においては、能を舞う姿が「夢」の中なる出来事として表出されている。下五に季語である「冬籠」が布置されているわけであるが、「夢」の世界から現実の世界への帰趨が描かれているゆえ、まさに冬の季節における寒々とした感覚がある実感を以て感取されるところがある。また、暗く閉ざされた空間内における「夢」ゆえに、「能」のイメージの美麗さがより一層際立って印象に残る結果となっている。

松本たかしの句は、基本的に端正な作品が多いが、時として掲句のようにやや主観の強い性質のものが見られる。例えば〈ひく波の跡美しや櫻貝〉〈金魚大鱗夕焼の空の如きあり〉〈金粉をこぼして火蛾やすさまじき〉〈蟲時雨銀河いよいよ撓んだり〉〈チチポポと鼓打たうよ花月夜〉〈綺羅星は私語し雪嶺これを聴く〉〈虎落笛闇の帷に閃閃と〉〈白焰の縁(ふち)の緑や冬日燃ゆ〉など、いずれからも強固な美意識の存在を見て取ることができるわけであるが、こういった作品をみるとやはり紛れもない貴種といった趣きが感じられる。また、このような割合華美な作品内容であってもさほど嫌味な感じはせず、気品が感じられるのは、一句における表現に無駄や隙が認められないゆえであろう。そして、こういった部分についてはやはり育った環境も少なからず影響を及ぼしているように思われる。

ただ、ここには、それのみならず、掲句に見られる要素も少なからず影を落としているように思われる。例えば、たかしには、山口誓子に対する真に迫った評言や、草田男の晦渋な作品に対する理解など、確固とした自らの意見を有しているといった趣きが強く、その作品から感じられる稟性や透徹した気韻については、やはりこのような自他に対する厳しい態度から生まれたものということになるのであろう。そして、それに加えて、掲句に見られるような、能役者を断念せざるをえなかった思いの深さによるところもまた大きかったのではないかという気がする。

松本たかし(まつもと たかし)は、明治39年(1906)、東京生まれ。代々宝生流の能役者の家に育つ。大正9年(1920)、病気療養中に「ホトトギス」を読み、俳句に興味をいだいた。その後、高浜虚子に師事。20歳の頃から本格的に俳句に取り組み、昭和4年(1929)、「ホトトギス」同人。昭和10年(1935)、『松本たかし句集』。昭和13年(1938)、『鷹』。昭和15年(1940)、『弓』。昭和16年(1941)、『野守』。昭和21年(1946)、主宰誌「笛」創刊。昭和28年(1953)、『石魂』。昭和31年(1956)、逝去(50歳)。昭和32年(1957)、『火明』。昭和40年(1965)~昭和43年(1968)、『松本たかし全集』全4巻。