【89】  かぎりなく樹は倒るれど日はひとつ   渡辺白泉

掲句は、昭和11年(1936)の作で、伐採場を描写したものとなるようである。数々の「樹」が伐採され「倒」れているが、天にある「日」は終始変わることなく超然と地上を照らし続けているといった様子が描かれている。無季の句でありながら、ここには、伐採の現場の様子がありのままに捉えられているといった趣きが強い。

渡辺白泉という俳人の特徴を端的に言い表すならば、「傍観者」となろうか。掲句にしてもそうであるが、白泉が生前自らの手で纏めていたという『白泉句集』(1975年刊)を繙くと、それこそ第1句目から〈白壁の穴より薔薇の國を覗く〉という句で始まっている。その後も集中には〈ラガ―等の胴体重なり合へば冬〉〈道化師の眼のなかの眼が瞬ける〉〈自動車に昼凄惨な寝顔を見き〉〈青い棒を馬がのつそりと飛び越える〉〈終点の線路がふつと無いところ〉などが見られ、これらの作品からは、やはり「見る」という行為に重点がおかれている事実を認めることができよう。白泉には、こういった即物的な描写ゆえの強いリアリティを感じさせる作品が少なくない。

昭和10年(1935)には、〈鶏(とり)たちにカンナは見えぬかもしれぬ〉という句が確認できるが、この句もまた「見る」ことがテーマとなっている。事実をそのまま詠んだものとも読めるが、一方で「認識」を巡って起こり得る可能性のある事態を象徴的に言い表しているようでもある。本来的には不可視であるはずのない真赤な「カンナ」であっても、時と場合によっては「見えない」ということもあり得ないではない。そういった事実を白泉は述べたかったのかもしれない。

また、白泉には、〈秋霖の社会の奥に生きて食ふ〉〈生(せい)続き雪ふる街にたちどまる〉といった句があるが、ここから感じれるのは、自己の存在そのものを相対化して捉えようとする視点といえよう。このことについては、先に引いた句とも客観性において重なる部分があり、こういった視点を有していたゆえに白泉は時代状況に対する批評性を持ち得たということができそうである。例えば〈銃後といふ不思議な町を丘で見た〉という作品などは、その代表的なものといっていいであろう。この句については、単なる当時の状況に対する怒りというよりも、どちらかというとやはり「傍観者」としてのまなざしに近いものであるように思われる。ともあれ白泉は、こういった作家性ゆえに現実の世界の実相を見誤ることなく作品化し得たということになるのであろう。

そして、戦後においても、〈冬の旅こゝもまた孤つ目の国〉から見て取れるように、白泉は、単一的な物の見方しか示さない大勢の人々の中にあって孤愁を感じざるを得なかったようである。そして、〈おらは此のしつぽのとれた蜥蜴づら〉と、自らを客観視する視点も健在であり、また〈マリが住む地球に原爆などあるな〉〈秋の日やまなこ閉づれば紅蓮の国〉などの句を見ると、その批評性は、ついに最後まで消失することはなかったといえるように思われる。

渡辺白泉(わたなべ はくせん)は、大正2年(1913)、東京生まれ。昭和8年(1933)、「馬醉木」に投句。昭和9年(1934)、「句と評論」に投句。昭和12年(1937)、「風」創刊。昭和14年(1939)、「京大俳句」会員。昭和15年(1940)、「天香」創刊に参画。京大俳句事件。昭和16年(1941)、古俳諧の研究。昭和41年(1966)、『私版・短詩型文学全書5 渡辺白泉集』(八幡船社)。昭和44年(1969)、逝去(56歳)。昭和50年(1975)、『渡辺白泉句集』。昭和59年(1984)、『渡辺白泉全句集』。