2017年4月30日

白き人プールの底で手を振りぬ

句会で知り合った女と結婚式を挙げる前夜、私は何者かに捕らえられ竜宮へ連れてこられた。酒色に耽るうちに地上でのことを忘れてしまったが、あるとき乙姫が句会をやりたいと言い出したので、たちまちかつて愛した女のことを思い出した。そこで早速私は竜宮を辞した。乙姫は玉手箱を無理やり持たせ、亀の背に乗せて送り届けてくれた。
たどりついたのは元の漁村だが様子がずいぶん異なる。通りがかった漁師は今が2017年であると教えてくれた。20歳の私が竜宮城へ行ってから80年が経過している。浦島太郎の話は知っていたので玉手箱は開けなかったが、もし開けたとしたら私は100歳の身体になるはずだ。
俳句を趣味とする老人を訪ねて女のことを聞いたが知らぬと言う、ただ、新宿区百人町の俳句文学館に行けば何か手がかりがみつかるかもしれないと教えられた。早速そこを訪ねた私は、抽斗に納められたカードから、女の名を手がかりに句集を探してみたが見当たらぬ。試しに彼女の姓を私のものに替えて探してみると該当するものが一冊あった。
書庫から取り出された句集をひもとくと、最初のほうには私も記憶している句が並んでいる。句会でそれらの句をはじめて読んだときの気持ちのざわめきが思い出され、ページを捲る指に力が入る。やがて知らない句が並びはじめたが、不審なことに婚約者である私が結婚式前夜に行方不明になったことは全く描かれていない。それどころか、普通に結婚し平凡ながら幸せな日常を暮らしている様が淡々と描かれているのである。夫とともにすごす日常は常に草花と日の光に囲まれ、不幸の影など少しもない。読みながら私は自分が竜宮で過ごした日々は幻であり、この句集のなかに描かれた彼女の夫こそ自分の現実の人生であったと思いこみはじめた。そして、句集のなかで時間が進むのとちょうど同じくらいの速度で自分の肉体が老いていたが、私はそのことに気がつかなかった。玉手箱の封印がはずれて、煙が少しずつ漏れ出していたのである。
さて、日常生活をていねいに描写した作品が並ぶなか、句集の最後に置かれた一句はやや異質に思われた。

仰ぎ見る水面の上の落花かな

続いて私はあとがきを読みはじめた。それは私も知る句友の一人によって書かれたもので、句集の作者である女の実際の人生が語られていた。若くして婚約者が行方不明となったのち、彼女はわずか一年で死去していた。その最後の一年に空想によって書かれた作品が、それ以前のものとともにこの遺句集におさめられたという。
すべてを読み終えたとき、私は白髪と髭に包まれて骨と皮のように痩せた老人となっていた。そして、このうえもなく甘美な眠気に全身を浸らせていた。

(一ヶ月間おつきあいいただきありがとうございました。)