2017年11月30日

熱い言葉冷たき言葉息白し

私は寂しかった。それを上手く言葉にできずにいた。
去年、父を亡くしてから早くも一年が経ってしまいそうなときだった。
父を亡くしたショックと、俳句も恋も上手くいかないことに、私は一年間何をしてきただろうかと不安になっていた。
そんなとき、スピカ賞を見つけて応募してみた。
どうせ自分なんか、選ばれるはずがない。選ばれなくてもいいから、自分の思いつくまま、ぎりぎりまで粘って、ありったけを書いて、それでいいやと思って応募した。俳句のこと、しつれんのこと、父のこと、本当に自分はダメなやつだと泣きながら書いて応募した。

10月のある日、スピカ編集部からメールが届いた。「11月から『つくる』の連載をしてほしい」とのメールだった。嘘じゃないかと思った。泣いたり笑ったり叫んだりしながらそのメールを読んでいた。「スピカっぽくないけど大丈夫?倫理的に大丈夫?」と返信した。編集部からは「泥臭いまでの人間愛、俳句愛を書いてください」とのことだった。

連載が始まってみて、どうせ自分の書いたものなんか誰も読んでくれない、と思っていた自分の俳句と文章を、こんなに熱心に、一生懸命に、とてもクリアな頭脳で読んでくださっていた方々がたくさんいたことに心が震えた。共感よりも、厳しい意見の方が多かった。
それら全部が全部、私の父でなければ言ってくれなかったようなことを、俳句の世界が自分に言ってくれたように感じて、申し訳なく思って泣いた。どんなに父に厳しく言われたって、馬鹿にされたって、私は父が好きだった。それと同じくらいに、同じように、私はこの世界がもっと好きになった。書いたことで、意見をもらったことで、もっと頑張れそうな気がした。

謝って、そんな風に言って、自分を正当化しようとしている、偽善者だと言われるかもしれない。みんなに許されなくてもいい。それでも私の方から、熱くて、賢くて、頼もしい俳句の世界のみんながいることに敬意を表したい、愛したい。フラれたって好き、そんなしつれんの形も嫌いじゃない。今まで何度も私はそうだった。「まいにちがしつれん」なんだから、最後まで読者にフラれて終わるのも悪くない。

私が『つくる』のではなくて、みんなに『つくる』を作ってもらったのかもしれない。
教えられたのは私の方だったと思った。最高の一ヵ月間だった。
一ヵ月間、本当にありがとうございました。