2015年9月24日

蓑虫よ糸を手繰れど日が暮れる

青本柚紀が攝津幸彦の資料をまとめてきてくれた。『與野情話』とか〈南浦和のダリヤを仮のあはれとす〉のせいですっかり埼玉のイメージだったが、彼も中野区沼袋に下宿していた時期があったのを知った。沼袋駅は、ぼくの住んでいる野方駅から上り方面の隣駅だ。筑紫磐井さんは確か、野方駅から下り方面の上井草駅や井荻駅の方にお住まいだったはずなので、ぼくはこれから通学のたび「ああ、豈に挟まれている」と思うようになるかもしれない。よくよく考えれば、そもそもぼくの俳号にも「豈」が潜んでいる。

柚紀が見せてくれた資料の中には、攝津幸彦の書いた文章が含まれていた。「満員電車の脳球」という題名で、『俳句研究』昭和51年2月号に掲載されたものだ。こういうタイトル、ぞくぞくする。

  人生という目的のない苛酷な時間の中を、あたかも目的があるように生きておかしつづける永遠なる時間にうまく乗り合わせてゆく調子、あたかも救いある全体へ毎日がつながってゆくかのように思わせる想いを、平静に善的に保ってゆく調子、この調子に支えられて満員電車の数百万の脳球は、無数の言葉を思い浮かべては、昨日・今日・明日と揺られつづけて確実に在るのだろう。

電車の中でスマートフォンにこのエッセイを書き込んだり株価を調べたり俳句を記録したりしている脳球がぼくであり、他者の瞳の中のぼくは「スマホを弄っている若者」に過ぎない。ぼくは今日も平静に善的に、「豈」に挟まれながら電車に揺られる。

満員電車の中で人々が浪費する時間資源や活動エネルギーの総計ってスゴい気がする。これは社会的損失だ。もっとも、麒麟さんみたいに電車内で原稿を書き上げている人もいるみたいだけど。ぼくの故郷の千葉市長はTwitterで「私の場合は職住接近しているので、思ったよりは家族との時間があります」「千葉市も職住接近を推進する」という旨の発言をしていたが、ゆくゆくは郊外輸送型の職住分離は減っていくのだろう。

その最寄り駅を利用する会員が最も多い結社や同人誌がその駅をゲット出来る、みたいな陣取りゲームをやったら強いのはやっぱり「ホトトギス」なのだろうか。家族旅行の際に、隣のテーブルのご婦人達がホトトギスの話をしていたことが何回かあった。だから、ホトトギスの兵力はヤバそう。とりあえず、メッカたる子規庵の近い鶯谷駅はホトトギスのものとしたい。国立駅だったら「未来図」なのかなあ。小平駅は霊園に棲む冨澤赤黄男の魂が強いので、できれば「旗艦」に譲ってあげて欲しい。いや、ここは「薔薇」に譲るべきだろうか。でも霊園には富安風生もいるから、やっぱりホトトギスなのかもしれない。同じ霊園にいる角川源義は、二人を横目にどんな顔をしているのだろうか。