昭和五十五年五月五日、南柯書局発行
加藤郁乎句集『秋の暮』
最近は俳人の死をTwitterで知る事が多いです。まだ独身の頃、ふらふらと日本橋のあたりをA子と散歩している時にTwitterで加藤郁乎さんの死を知りました。
『實』という句集を読んでから、これだと思い、なんとかお目にかかる手段はないものかと考えていたところだったのでほんとにガックリして•••。
ヘナヘナと座り込んで、あーあと嫌になっちゃって、A子から三千円を借りてそのまま一人で飲みに行きました。飲み屋で「イクヤが死んだ、イクヤが死んだ•••」とぶつぶつ言いながら飲んだのを覚えています。好きな俳人には早く会っておいた方がいいと思い知りましたが、そういうのもまた難しいもの。
さ、今日は麒麟本棚の郁乎コーナーの中でも特にお気に入りの『秋の暮』を読んでいきます。薄い、小さい、面白い、とまことに良い句集です。ぜひ実物を手にとって読んでみてください。全句集の時とは大分味が違うと思います。
天命は詩に老いてけり秋の暮
秋の暮など感じるままに
われとわが二人にながき秋の暮
ねぇ、しみじみと秋の暮
かへりみる高き低さや秋の暮
まだまだよね、いやいやこれから、とばかりに秋の暮
とにかくは秋雨るなり秋の暮
秋の暮とは大人の味よ
前借のまた前借や秋の暮
どうにもならず、そして、秋の暮
隠れゐて松が見えます秋の暮
あぁ、秋の暮
この人とすることもなき秋の暮
ほんと、秋の暮
お酒を飲みながら、たまに読み返す好きな句集です。この句集に対する刺激的な評論、誰か書かないかなぁ。後期郁乎の句集、確かに難しいけれど、宝石箱みたいな楽しさはあります。
秋の風とか秋の暮とか時雨とか、斬新に使う方法はまだまだあるんでしょうね。
じゃ、秋の暮、じゃなかった。
ばーい