昭和30.7.1 琅玕洞発行
下田実花句集『実花句帖』より。
年表を作っていくのが、わりと好きです。最近楽しかったのは、井月と実花の年表かなぁ。はっきりと答えがあるものよりも、自分で探りながら作るのが楽しい。
調べてて面白いなぁと思ったのは
1901 明治34
山口誓子11月3日、京都にて生まれる。七月、草城、草田男が生まれ、11月に不死男が生まれる。『武蔵野』『みだれ髪』刊行。
へー、みだれ髪かぁ。
1902 明治35
赤黄男生まれる。子規没。
へー。
1903 明治36年
武原はん女生まれる。
1904 明治37
日露戦争。
1905 明治38
竹田小時生まれる。
1907 明治40
誓子の双子の姉妹、サク、レツ大阪に生まれる。このレツが後の下田実花。素逝、綾子、健吉生まれる。
ほへー。素逝、綾子、健吉なんだぁ、へー。
1921 大正10
実花14歳、日本橋で半玉としてお座敷へ。後に日本橋の芸妓家が廃業したため新橋に。誓子「ホトトギス」に初入選。
この時が初入選なんですな。実花さん、14歳かぁ…。
1932 昭和7
『凍港』刊行。
1933 昭和8
実花、虚子に師事。
夏草に汽缶車の車輪来て止る 誓子
日の障子太鼓の如し福寿草 たかし
四五人の心おきなき旅浴衣 立子
祖母山も傾山も夕立かな 青邨
この俳句が出た年なんですね、有名句盛りだくさんの当たり年です。年表に当時の句を書きこんでいくと、親しみが湧きます。
1944 昭和19
警視庁が高級料亭、待合、芸者屋、バー、酒店を閉鎖。
1945 昭和20
実花38歳、ホトトギス同人へ。
1949 昭和24
実花42歳、芸者に復帰。
苦労してます、実花さん。
1955 昭和30
実花第一句集『実花句帖』刊行。序文虚子、跋文誓子、扉絵川合玉堂。
『少年』『太陽の季節』誓子第九句集『和服』刊行。
太陽の季節と少年が同じ年ってのは興味深いです。この時誓子は第九句集ってのもすごい。
1959 昭和34
実花52歳。虚子没。『球体感覚』
この年に出たんだ!
1961 昭和36
実花54歳。実花第二句集『手鏡』刊行。序文は誓子。『黙示』『金子兜太句集』。
黙示!もちろん赤黄男!
ちょっとぶつ切りにして少しだけ紹介しました。実花さんの人生を見ていくと、実花さんの人生だけではなく、周辺の俳人もまたよく見えてきます。こういう作業は、頼まれずにやる遊びの時が、一番面白い。
それじゃ句集読んでいきましょうかね。
酒さかな見えて遊船すれちがふ
じゃんじゃん。
妓をやめし人と揃ひの秋袷
みんな色々あるわさ。
露草や寂光院へ近道を
美しく、近道。
まゆ玉のおもちやづくしや揺れてをり
うふふ、あはは、わらわら。楽しいな。
ステッキを子が持つてゐる花の山
持ってみた。
妙なとこが映るものかな金魚玉
これ好きな句です。なんてことな無い状況のなんてこと無い俳句なんだけど、こういうのが、妙に心に残ります。
好きな妓をまねきよせたる団扇かな
おいでおいで、可愛いお前。
かたまつて女は女つばき餅
たくさんの姐さん達とつばき餅(これは俳句じゃないよ、僕のコメントだよ)。
お扇子を買ふだけの用百貨店
ちょいとね。でもついでにあれやこれも。
自動車を降りて小走り春の雨
濡れるので。
身についてしまひし藝や寒ざらひ
ついつい。
すぎてゆく膳所も大津も夏まつり
あぁ膳所よ、大津よ。楽しそうであることよ。
吉右衛門氏と共に除夜詣
夫婦とも浅草生れきりざんしよ
これ好きな句です。ちなみに切山椒は、時々村上さんが買ってくれます。よく考えたらほとんど自分では買った事無いです。
秋の風一人一人のなつかしく
あなたも君も。秋風やじゃなくて秋の風って方が優しくて良い。
母いつも何かこまごま夜の秋
いつもありがとう。
はん居
踊にも使ひし籠に菖蒲活け
はんさんシャレオツ。
お祭が好きで築地に住み古りて
やめらんない。ちかみに僕も築地の神輿かついだ事あります。人は見かけによらないのです。
あごに手をそれをささへて春惜しむ
はぁーあ。
たれかれのうはさの東踊かな
あの子あれから元気かしらん。
遠慮なく昼寝もせよと置手紙
じゃ、遠慮なく。
鯛網も都をどりも見てゆかな
めでためでた。ちなみにこの俳句からでは全然伝わりませんが、実花さん、鯛網を見て、魚が可哀想になって泣き出してしまったらしいです。実花さん、優し。
遊ぶかな下りたる舟に又乗りて
いえす、遊ぶかな。
みな飛んでゆくものばかり走馬燈
涼しく少し儚げに。
見るものもさしてなけれど端居して
まぁまぁどうぞ。
実花さんの句集、わりと読み返す事が多いです。平明なようでいて、少し寂しい、虚子とも立子とも違うこの少し寂し、というのが実花さんの俳句なのでしょう。いつまでも、誓子の妹で芸者、というだけの見方では面白くないですね。もっと魅力がある俳人です。
今気が付いたけど、今日、長いね。
じゃ
ばーい