平成11.8.20 壱岐坂書房刊行
『篠田悌二郎選集』より。
父は詩歌どころか文学や絵画、音楽や芝居もほとんど興味がなく、高校生ぐらいの時は、全く芸術的でないし、駄目だなぁ、と思っていたこともありました。
僕も32ですから、少しは親のありがたみを感じられるようになりまして、うちの父も偉いじゃないかと、言ってはあげないけど少しは思うようになってきました。
ホントかどうか謎ですが、大昔、父が展覧会で東山魁夷画伯を見たことがあるらしく、画伯に向かってこう言ったそうです。
「おじさん、絵が上手いんじゃのぉ」
昔は笑っていましたが、最近はなんだか、素直でいい話じゃないかと、思い出したりします。
自分が良いと思ったものが良い、素直であることは大切です、難しいけど。
『青霧』の続きです。
花ふさの小さきあしびぞと言ひつ挿す
近所の馬酔木をよく見るんですが、小さな壺みたいで可愛い。
ある旦あしびの花に雪ふれる
白(ピンクもあるけど)に白い雪。静かで、美しい時間。
花とほくひとつの声の蛙澄む
耳というよりも心に届く蛙の声。
青ざめて人らゆあめり朴の花
朴の花でますます極楽感がでている。
入院翌朝
明やすき窓がうれしくあけはなつ
入院中は窓が嬉しい。
虫も絶え草家の窓の灯もきいろ
下五のきいろに魅力。黄色よりも、もやっと光がゆらぐように見える。
スケートのひとり朝日をほしいまま
自由自在、好き放題。
とざしたるままの明けくれ冬さうび
目と耳が気持ち良いことが、悌二郎さんの俳句の特徴かもしれません。
ばりばりと氷を噛みて熱いでぬ
美味しいものでもないけれど。
花のみち朝をおどろく霜置けり
道、驚くを平仮名にすることで、花、朝、霜が目にすっと入る。
芦の芽にはやきとんぼの来て澄める
よきものは澄む。おそらく「澄む」は作者にとって最良の状態なんではないでしょうか。
虫捕る子夜の向日葵の貌に遭ふ
いつの世も、向日葵はでっかい。
合歓の雨記憶の母のああうすれ
ああが雨のようで良い。
『青霧』はゆっくり読んだ方が色々見えてきそうです、なのでゆるゆる行きます。
じゃ
ばーい