昭和49.11.20 毎日新聞社刊行『定本 高濱虚子全集』より。
細々としぶとくやってきた「きりんのへや」が五百回目になりました。スピカの皆様、五百回も更新作業、すみません、本当にありがとうございます。
五百回もやったので、少々今までの感想。
きりんのへやで僕が大事にしてきたのは、主に三つ。
①続ける
②筋肉で書く
③褒める
①について
とにかく続ける。病気になろうが結婚しようが心が腐ろうが俳句が嫌になろうが、やる。とにかく読み、書く。これを守っているうちに、いつでも俳句が僕の近くに浮かんでいるような、そんな幸せな錯覚を感じることが出来るようになりました。一回分を読み書きするのに早くて二時間ぐらいかかるのですが、週に二回、二時間、何があろうと俳句に向かう、というのは仕事や家庭を理由に俳句を手放さなくて済む僕なりの方法だったのかもしれません。
②筋肉で書く
残念ながら僕は難しいものを書くのに適さない。さらに悪いことにそれが悪いことだとも思っていない。
知識も筆力もない。そんなにはない。
ないものは仕方ないので、それ以外を使って書こうと頑張ってきたつもりです。
つまり、筋肉と直感で、書こうと思っています。師から「光る句を採れ。採ってからどこが良いか考えよ」と習ったことがあり、そうしているつもりです。句に添えるコメントは、出来るだけ重い鑑賞にならないように、句だけが光って見えるように気をつけています。長いコメントの時も短いコメントの時も、一秒ぐらいしか考えていません、筋肉です、直感です。
ただ、選に関してはつまらない句は選んでいないつもりです、そこは、頑張っています。
③褒める
褒めるだけでなく、冷静に読み解き、時に酷評もしたりするのは評論家の仕事です。僕は残念ながらそういうのではありません。褒めたり、すごく褒めたりするだけです。
なんというか、「笑顔で紹介するだけ」というのが僕です。僕が「いいでしょ?」と紹介した句のいくつかを読んだ誰かが「いいね」って言ってくれたら満足です。
①から③まで読んでいただけたらバレてしまうと思いますが、きりんのへやを読んでも、鑑賞の勉強にはなりません。それはそれはびっくりするほどなりません。
勉強をしようと思ってきりんのへやを覗いたら、全然勉強になりませんでした、と学生さんに言われたことがありました。正直だなぁと笑ってしまったんですが、きりんのへやは、そういうので良い。
意味のあるような、ないような、不思議なきりんのへや、たまにでも良いから、覗いてくれたら嬉しいです、誰かが一人でも覗いてくれるなら、いやほんと、頑張れます。
前書きがすんごく長くなりましたが、五百回記念に虚子百句選をやってみました。
一週間ほどかけて、虚子全集から選んでみました。有名句を入れたり、入れなかったり、酒を飲んでいる時や正座して書いてみたり、機嫌の良い日やものすごく不機嫌な日まで、あえてどの日の選も良かろうと思い、わざと一日で選をしませんでした。そろそろかなぁと思い選んだ句を数えてみると102句あったので、そこから2句削り、百句としました。
面白い句も、つまらない句も、すごい句も、すごくない句もあり、飽きないなぁと改めて感じました。日によって面白いと感じる句が変わるのも虚子の魅力かなと。おそらく今また虚子百句を選ぶと、いくつかは違う句を選ぶことでしょう。
まぁとりあえず、これが今の僕が選んだ百句です。
『五百句』
先生が瓜盗人でおはせしか
柴漬に見るもかなしき小魚かな
煙管のむ手品の下手や夕凉み
冬の山低きところや法隆寺
ぢぢと鳴く蟬草にある夕立かな
どかと解く夏帯に句を書けとこそ
老僧の蛇を叱りて追ひにけり
大空に伸び傾ける冬木かな
せはしげに叩く木魚や雪の寺
たてかけてあたりものなき破魔矢かな
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿
かわかわと大きくゆるく寒鴉
『500句時代』
餅もすき酒もすきなりけさの春
短夜の星が飛ぶなり顔の上
あたたかや蜆ふえたる裏の川
けさの秋もの静かなる端居かな
冬籠髯でも少しはやさうか
鮟鱇の口ばかりなり流しもと
女多き四條五條の涼みかな
隣にもまはり燈籠がまはりゐる
蝶々のもの食ふ音の静かさよ
百人一首を行列にする祭りかな
餘り長き昼寝なりけりと起されぬ
秋晴や前山に絲の如き道
炭をもて炭割る音やひびくなり
先づ食うて先づ去る僧や心太
ひらひらと釣られて淋し今年鯊
生涯の今の心や金魚見る
秋雨の風呂二度わかす朝寝かな
かりそめにかけし干菜のいつまでも
この庭の遅日の石のいつまでも
箱庭の人に古りゆく月日かな
咲き満ちてこぼるる花もなかりけり
くれといふダンサーにやる扇かな
泳ぎ子の誰が誰やら判らざる
学生の掃除してをる瀧の前
石段の伸び行くがごと初詣
『五百五十句』
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり
顔しかめ居る印度人町暑し
宝石の大塊のごと春の雲
よく見たる秋の扇のまづしき絵
へこみたる腹に臍あり水中り
老人と子供と多し秋祭
旗のごとなびく冬日をふと見たり
福引に一国を引当てんかな
雲なきに時雨を落す空が好き
『五百五十句時代』
コルシカに春の日赤く今沈む
ベルギーは山なき国やチューリップ
船と船通話して居る灯涼し
女の子水を散らして泳ぎけり
月のごと大きな露の玉一つ
『六百句』
餅花に出しひつこめし顔綺麗
口あけて腹の底まで初笑
黴の中わがつく息もかびて行く
わが前の畳にくろし秋の蠅
スリッパを越えかねてゐる仔猫かな
生きてゐるしるしに新茶おくるとか
振り向かず返事もせずにおでん食ふ
その辺を一廻りしてただ寒し
どこやらに急に逃げたる冬日かな
『六百句時代』
なつかしき紺の表紙の黴の本
『小諸時代』
杖ついて我も簗見る一人かな
薄紅葉して静かなる大樹かな
耳をなで額をこすり日向ぼこ
遊ぶかな氷踏み割り氷柱折り
掛け古りて我に親しき秋簾かな
『六百五十句』
見下ろしてやがて啼きけり寒鴉
紫と雪間の土を見ることも
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ
膝に来て稲妻うすく消ゆるかな
又しても新茶到来僧機嫌
庭散歩椿に向ひまた背き
水飲むが如く柿食ふ酔のあと
大空の片隅にある冬日かな
月の庭ふだん気附かぬもの見えて
『六百五十句時代』
鮎釣りて戻れば妻の不機嫌な
我船のすすむばかりや梅雨の海
山の蝶佛の如く美しき
藝知らず春草に犬跳ねるのみ
熱燗の男の中の女かな
『贈答句集』
先住の植ゑたる竹の風涼し
あつき日にやけてげんきな男かな
五分ほどよりし暖炉の暖かさ
『七百五十句』
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
山風に吹きさらされて昼寝かな
虫の音に浮き沈みする庵かな
見るうちに多くなりけり菊の虻
苔寺を出てその辺の秋の暮
行き違ひありて混雑花の宿
仏生や叩きし蠅の生きかへり
去年今年一時か半か一つ打つ
石庭の石皆低し秋の風
風生と死の話して涼しさよ
秋風は到る所のものを吹く
テーブルの下椅子の下春の闇
『七百五十句時代』
カーテンを引いて見えざる冬の庭
涼風のとめどなく来る蜂が来る
一つ吊る大提燈や涼み舟
枯れ細り枯れ細りたる庭のもの
草取りの同じところにいつまでも
良いなぁと、思いました。
奈良茶飯出来るに間あり藤の花
手を出せばすぐに引かれて秋の蝶
ダムに鳴く鳥は鶯ほととぎす
凍蝶の魂ぬけしまま舞ひ上り
日々にふゆる椿の花の数
なんてのも好きなのですが、選び終わった後であぁ、そう言えばと気がつきました。もう一回読むとまた変わるだろうなぁと。
次回から501回目です、何やろうかな。
じゃ
ばーい