2017年2月13日

ある昼の嫁菜を摘むとなつかしい

世界がわたしのためにあってほしい、と思うときがある。
横暴だって、そんなことはわかっている。

歯磨きをしながら自分の顔が鏡に映り込むのを見ながら「ある」と思う。
洗濯物を干して勝手に乾いていると「ある」と思う。
文字がある、と思う。

世界は「ある」で満ちている、けれど、「ある」のは普通ではない。
そこに「ある」ことにはあたりまえに「ある」のだけれど、
その「ある」ことが救いのように時々思えてしまうことが、ある。