昭和57.9.15角川書店刊行 「杉田久女読本」より。
俳句のために、という意識が高い人が何人かいて黒岩くんなんかはそうなのかもしれない。彼が声をかけまくって句会を開くおかげで俳句と繋がれている人はたくさんいるんじゃないかなと。一方僕は、自分のことしか考えていない。あれ、僕は結構冷たい人間なんじゃなかろうかと思うぐらい自分のことしか考えていない。俳句がうまくなりたいな、面白い俳句を読みたいなということしか考えていないんじゃなかろうかと。さんざん人様のお世話になって生きてきているのに、どうして自分の俳句のことしか考えられないのだろう、と風呂の中で時々考えるけれど、人間というのはなかなか変われない。とりあえず、長く生きてみて人間的に成長、出来るものならしたいなと思う。急に何書いてんだと思うでしょうが、句集出す作業のために、自分で作った句会報ノートを読み返すと、一緒に句会をしてくれた人達のおかげでこの俳句達が出来たんだよなと、ちょっとしみじみ感謝したんです。
久女の続きです。
晩涼やうぶ毛生えたる長瓢
「長」がちょっと面白い。
菊苗を植ゑゐる母にきかすこと
ねぇねぇお母様。
足袋つぐやノラともならず教師妻
俳句を初めた頃、このノラはイプセンじゃなくて、野良だと思って思っていました。でも野良でも成り立つかなとも。
童話よみ盡して金魚子に吊りぬ
愛情が可愛い。好きな句です。
床に起きて繪かく子となり蟬涼し
蟬涼しの涼しが気持ち良い。
紫陽花に秋冷いたる信濃かな
有名句ですね。住んだ感じだと、信州はちゃんと夏はひどく暑く、気持ちの良い秋も短くて一気に寒くなり、冬には死にそうなぐらいひたすら寒い。あぁ思い出したくない。でも、この句は良い句。
鬼灯やきき分けさときひよわの子
良い子であるのが、ちょっとかなしい。
椅子移す音手荒さよ夜半の秋
前書は「看護婦をののしる句」だそうです、久女は、怒ると俳句で怒る。
春浅く火酒したたらす紅茶かな
小洒落たティーが飲みたいの。
ぬかづけばわれも善女や佛生會
ぬかづき久女とそうじゃない久女と。
今日はここまで
じゃ
ばーい