斎藤茂吉全歌集を読む(筑摩書房、昭和43)
『つきかげ』を読む
俳人なら一度はぜひにと行ってみたい店はもちろん卯波、僕も居心地が良いのでふらふらと寄ったりします、先日会社の人達を卯波へ案内したんですが、そういう時僕は、予約してきまーす、なんて言って、テッテケケと小走りにみんなから遠退き卯波へ電話して
麒麟「あ、Kー野さん、どうも麒麟だけど、会社の人達と今から行くので、うん、色々よろしく」
と言っておくと、店内では僕の事を『にしむら君』と呼んでくれます、会社の人達に俳句をやっている事は黙っているので(言ってもろくな事はない)キリン君キリン君と呼ばれるとちょいと困る。
店に入るとカウンターに、うわっ!?若手俳人のOち君が! きりんさんって言うなよ、と祈りつつ、やぁと挨拶をして奥の座敷へ。
座敷で飲んでるとKー野さんの声がこっちに聞こえてきた
Kー野さん「Oち君、今日きりん君は会社の人達と来てるからきりんさんとか呼んじゃ駄目よ」
あぁ良いお店
会社の人達は帰って僕はまだ飲み続けOち君と色々話をしていたら
Oち君「きりんさんってどんな歌が好きですか?」
と聞かれ大変困った、俳句をやらない人にどんな俳句が好きですか?と聞かれると困るし、俳人に、どんな歌手や芸能人が好きですか?とか聞かれると困る。
・・・照れるじゃないか
そういう時、誰に聞かれてもとりあえずイエモンです、と答えるとなんとかなる、スタバでは好きじゃないのに言いやすいからカフェミストをよく頼む(僕は苦くて濃いのがほんとは好き)。
Oち君、君に会うたびにいつものらりくらりと質問から逃げてごめんよ、君はこんな28歳になっちゃいけないよ。
さ、好きな歌、好きな歌・・・、短歌、好きな短歌・・・も、も、も、茂吉!
まさかのここから斉藤茂吉です、いーや、やる、良いんじゃい、『つきかげ』の続きからじゃい!
春さむくわが買ひて来し唐辛子ここに残りて年くれむとす
いつも通り何でもない
枕べに書物数冊おきながら塵はかかりて一月は来む
読まなかったという話
恋愛の小説ひとつ読むさへや疲るるときに年くれむとす
何読んでるんでしょうね、茂吉が読む恋愛小説か、かなり厚い本ではありそう。
今年(こんねん)は幾首の歌を詠みつらむみづからも知らず歳晩となる
全歌集読んでるとよくわかります、いつ何首どんなのを詠んだ、と記憶できる数じゃないです。とにかく浮かべば記録する、という感じがします。
老いといふこの現(うつつ)なることわりに朝な夕なは萬事もの憂く
そんな事言ったって仕方ないじゃないか(えなり君的)
新年号に歌つくるべくなりにけり四十年来の私(わたくし)ごとなれど
ずーっと一流歌人
で走り続けているという証拠ですね
みづからの落度などとはおもふなよわが細胞は刻々死するを
落度ともってきたのが面白い、もっかい言おう、そんな事言ったって仕方ないじゃないか(えなり君的)
短歌とは寂しき道か老いてますますわが歌さびし
鰻が鰻がと、茂吉先生は結構楽しそうですけど・・・
わが友は皆ぎりぎりの生活をしてゐるらむと今もおもへり
清貧なんて今はもう通用しない言葉になってしまいましたね
人富みてゆたかになれる面相を牛馬なばいかにか見らむ
なかなか痛い歌ですね、あいつもえらくなったもんよ、と牛馬はおもしろくない顔つきで見てます、きちんと世話をしましょう。
おしなべて人のいのちは楽しかりわれも否まじその楽しきを
なかなか難しいけど、いのちは楽しい方が良い
老身よひとり歩きをするなかれかかる声きけどなほ出て歩く
言う事は聞きません
旅路よりかへり来りて老の身が独り寝むとして眼鏡をはづす
眼鏡を外し机に置いて、かちゃりという寂しさと言ったら・・・
山茶花は白くちりたり人の世の愛恋思慕のポーズにあらずして
この言い過ぎた感じが面白い
予自身の心臓の音(おん)を聞くごとく冬の泉の湧く音(おん)を聞く
心臓と冬の泉の遠さが面白い
しづかなる天にむかひてひびかなむキリストの鐘も仏陀の鐘も
平和が大事よ
床の間に簡素なる軸をかけにけり鶴の親どりとその雛どりと
これもあれをこうして、というだけの歌ですが、それで良い歌になるんだから茂吉はすごい、簡素と鶴の親子の組み合わせが良いのかな
富士山を見れば新年の朝あけに雪かかむりて陳腐にあらず
陳腐じゃないぞ、という歌、どやっていう題材でどやって歌(俳句もね)にならないようにするのは技量が必要だと思います。
新宿にはやく来ればデパートのガラス窓のそとにこがらしが吹く
はやく来ちゃった話、うろうろしてる茂吉や疲れて座っている茂吉を想像すると楽しい。
日々のいのち淡々としてある時にわがまなかひに見えくるは何
この歌好きです、茂吉は突然こんな歌を入れてくるんですよね、こんな景色の正解を知るには長生きするしかない。
ほんと、虚子や茂吉には世界がどんな風に見えていたんでしょうかね。
新風の歌会に行きて禁煙の説教したること想ひいづ
晩年の茂吉を想像すると面白いですね、みんな我慢して聞いたんだろうな・・・
あたらしく生れいでたるごとき雑誌しみじみと見つ老いびと吾は
こんなもの、へっとか言いながら、かなり気になっている、いつの時代もきっとそうだと思う
活動をやめて午前より臥すときに人の来るは至極害がある
活動をやめて、って表現が可笑しい、活動って!
生活を単純化して生きむとす単純化とは即ち臥床なり
そうであるぞよ!
これは有名な歌ですね、昔から結構好きな歌です。
蚤のゐる昼の床にて臥すわれを幸福の極みとみづから言はむか
みづから言ってしまうぜ
不可思議の面(おも)もちをしてわが孫はわが小便するをつくづくと見る
見るもんじゃない、見せるもんでもない
人に害を及ぼすとはあらねども手帳の置場所幾度にても忘る
嫌だなぁ、僕も句帳とかあちこちに置き忘れるように・・・絶対なる
牛(ぎう)の肉豚(とん)な肉をも少し食ふ人に贈らるるかたじけなさに
かたじけない、茂吉は食べ物に敏感
わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ
これも有名ですね、こういうのが実は幸福な日常なのかもしれません。
みんなは好きな歌は?と聞かれたら、え、茂吉を少々、と答えましょう、きっと、話はそこで切れます・・・。
そいじゃ
バーイ