第17回俳句甲子園

先週末は、第17回俳句甲子園でした。
特別審査員長の石田衣良さんが体調不良で来られないということで、急きょ13人目の審査員として審査に加わることに。OBで初めて旗を挙げるということで、そら緊張しましたけど、当日は、体当たりで審査しました。私が俳句甲子園を見に行って俳句に魅了されたのが、第2回大会。そのころオギャアと生まれた子たちが、いま高校生として、目の前で同じように俳句を語り合っていたのだと思うと、あらためて15年の歳月を振り返っちゃうなあ。そら年とるわな。

最優秀賞、鉢句にしました。

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幸田高校の大橋佳歩さんの一句。引率の先生は、第5~7回幸田高校選手として出場の竹岡佐緒理さん。この夏に、伊藤園のお~いお茶俳句大賞の文部科学大臣賞を受賞。今年から、俳句甲子園の最優秀賞も、文部科学大臣賞として表彰されるため、先生と生徒でダブル受賞となる。

「(ホップ)湧水は(ステップ)生きてゐる水(ジャンプ)桃洗ふ」、ことばのすみずみまで漲っている句。やっぱり、下五の「桃洗ふ」がいい。いきいきしていて、ナイーブで、たくましくて、いい。

俳句甲子園 2014年 結果

私のイチオシは、

臆病な飛魚だっているきっと  熊本信愛女学園 浦田姫佳

でした。海を勢いよく飛び出して、まっすぐ飛んでいる飛魚の群れ。きらきらとして、眩しくて、それに引き替え自分は臆病でダメだと思う。でも、あの平然と飛んでいるように見える飛魚の中にも、私みたいに、臆病な一匹はいるはずだ、と思い直したのが「きっと」。臆病な飛魚は、光まみれの空気の中で目を見開いて、一生懸命飛んでいるのだ。その飛魚の目になって、私は一緒に世界を見る。「きっといる」ではダメ、「いるきっと」の息せき切った口吻が、切実に響く。ちまたで話題の口語をいかした俳句。
飛魚は元来臆病なものだ、海の捕食生物を避けて飛ぶのだから、という生物学的な反論もあったけど、この臆病な飛魚は、この句を詠んでいる私そのものなのだから、飛魚を詠みながら、やはりこれは「私」が主題の句なのだ。

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負けて、自分たちの句を披露できなくて悔しいと思ったら、さらなる俳句を求めればいい。俳句甲子園は、ある一句が人々を素直に魅了する可能性が約束されている、ある意味とっても素朴な場所で、表現者冥利につきるステージでもある。そして、俳句を作り続けるというのは、本当は、いつもあのステージに立っているのと同じことだ。私たちの俳句は常に、未来の読者の目にさらされているのだから。俳句甲子園は終わっても、俳句は終わらない。俳句をやめちゃうという選択肢もあると思うけど、大学に通ってても仕事してても、とりあえず俳句は詠める。だから、俳句甲子園だけじゃなくて、俳句も好きなら、続けてほしいな。いつか句集出せばいいし。若い人の句集は、みんな読んでくれるよ。私は読む。そこでまた勝負すればいい。そして私も、まだ自分に詠めるものが残されてるような気がするから、今も詠んでいる。

そして、今年の大会公式作品集、巻頭言を頼まれたので、目下草稿作成中哉。「若者らしさ」にまつわるあれこれについて、考えてきたことを書く予定です。