2011年12月 阪西敦子 × 宇井十間

えー、本日は年末のお忙しい中、満員のお運びありがとうございます。
さて、人間というのはどうにもラクを知るとロクなことがねえということでございますな。阪西敦子という人が「年忘」という文章にこんなことを書いております。「多分、時間は取戻すことができると思っていたのだと思う。過ぎた季節もまた巡ってくると。しかし、巡ってくるものは似て非なるもの」と、まったくその通りでございます。
「おい、弥太郎、なぁにゲームなんかしてるんだよ、あした試験じゃないか」
「へ? なんだ、おっ母ぁ、あした試験か、がんばれ」
「がんばれ、じゃないよ。あんたの試験だよ、あんたの。大学入試、明日じゃないか」
「へ、試験? おっ母ぁ、おいら三月の六日に試験受ければいいんだよねえ」
「ああ、そうだよ。たしかに三月六日ですよ。で、今日は三月の五日じゃないか」
「今日が三月五日なのはおいらだってわかってるよ、おっ母ァ。でも今年の明日は無理だから来年の明日受けらぁ」
……とまあこんなことでは困るわけです。
さて、昔江戸の時分には、築地ばかりじゃなく芝のほうへも魚河岸が立っていたそうで、その芝の河岸に程近い長屋に、勝五郎という魚屋が住んでおったそうです。
これがたいへん眼の利く男で、たいそう評判がいい魚屋だったそうでございます。情に厚い男で、喧嘩っ早いのが玉に瑕なんですが、こんな男には良い女房がついてくれる。くーっ、まったく良い男ってのは羨ましいですなあ。

  鮭つかむ人の背中のしかとあり     阪西敦子

えー、まあそんなわけで円満に暮らしてたんですが、夫のほうが酒に溺れちまったのがいけなかった。夏の真っ昼間でもお構い無しに、出先の酒屋へふらっと入るってえとこれがもういけない。魚の入った桶を外に置きっぱなしにして呑んじゃう。するってえと桶の魚が腐っちまって、酔っ払ったままそれを売り歩くもんだから、だんだん評判が落ちて売れなくなる。売れなくなるともう河岸へも行かず昼間っからうちぃ篭もって酒をあおるようになる。入るもんはなくて出て行くばっかりってんですから方々に借りが出来てどうしようもなくなる。
そのうちなんとか稼がせなきゃならいってんで、女房がたたき起こしてなんとかこの夫を芝の河岸へ行かせるんですが、これが芝へ行ってみると河岸が一軒も開いてない。折りしも鳴りました増上寺の鐘を聞くってぇと――女房も気が張っちまったんでしょうなあ、時をひとつ違えて早く起こされちまったってことが分かります。
仕方がないんで夫は芝の浜へ出て暇をつぶすんですが、ふと見ると足元に、こう、紐の出た何か塊がぷかぷか打ち寄せられてる。何だろうと思って煙管の雁首に引っ掛けて持ち上げるってえと革の財布でございます。中をチラッと見るやいなや青い顔して懐にそれをつっこむと家まで大慌てで駆け込む。驚く女房に訳を話して財布の中身を広げてみると、二分金で四十二両という大金でございます。これで遊んで暮らせるってんで二人とも喜んで、夫は安心したんでしょう、昨日の酒を引っ掛けてもう一眠りという次第でございます。
んでもって、日も高くなって、もう一度起きるが早いが、「めでたいめでたい」といいながら風呂屋へ行く。それで若い衆連れて帰ってきたかと思えば、出前をとって呑めや歌えやの大宴会。すっかり出来上がってその晩はそのまま寝入っちまいます――
「あんた、あんた、起きとくれよ。あんた」
「うるせえなあ、なんだよこんな早くに」
「あんた、商いに出ておくれよ」
「商いなんざばかばかしくてやってられるか」
「そんなこと言ったって昨日の支払いどうすんのさ」
「そんなもん昨日の四十二両がありゃぁ、屁でもねえや」
「四十二両ってなによ。あたしゃそんなお金知らないよ」
「は、何言ってやがんでえ。昨日俺が芝の浜で拾ってきたじゃねえか」
「あきれた。あんた夢でも見たんじゃないの。あんた昨日、芝へなんか行ってくれやしなかったじゃないか。昼んなって起きたかと思ったら湯へ行って、湯から戻ってきたかと思ったら若い衆とそりゃあえらい騒ぎでしたけど、どうするの、この支払い」

  どこまでが夢どこまでが冬の浜     同

「じゃあ、財布を拾ったのが夢で、呑んだのは本当だってえのか……なんてこった。俺ぁとんでもねえことしちまった。なあ、かかあ、俺、もう酒やめるよ。約束する。俺、酒やめて、ちゃんと働くよ」
と、これがきっかけになって、心を入れ替えて商いに精を出します。この勝五郎、もともと目の利く男ですから、離れていたお得意先も、おう、あいつもまたちゃんとやってるじゃねえか、ってんで、だんだん戻ってくる。新規のお客さんも増えて、商売は大変繁盛したということです。
忙しさに任せてあっというまに一年、また一年と過ぎて、三年目の大晦日のこと。
「いやあ、かかあ、新しい畳で年を越せるってほどいいことはないやな。畳と女房は新しいほうが……ああ、女房は古いほうがいいやな」
「なにを言ってるんだよ、おまえさん。ところで、おまえさんに見て欲しいものがあるんだけど」
「なんだい」
「見せる前に約束して欲しいことがあるの」
「なんだよ」
「最後まであたしの話を聞いて頂戴」
「なんだかよくわからねえが、まあ、いいや、約束する。約束するよ」
「そう、約束してくれるかい、それじゃあ――」

  小箪笥のもの取り出しぬ虎落笛     同

小箪笥の中から女房が取り出しましたのは、あの革の財布と、その中には四十二両。夢と思っていたことは本当で、それを女房がずっと騙していたという次第でございます。勝五郎も最初は怒りますが、これは長屋の大屋さんの入れ知恵だったんですな。すべては夫が悪い金に手を染めないようにとの思いやりと聞けば、そりゃあもう女房に感謝をいたしまして――
「ありがとう、ほんとにありがとう」
「ありがとうだなんて、よしとくれよ。今日は、お前さんにお詫びの気持ちでさ、もう三年も呑んでないでしょう? お燗を、つけといたから」
「燗って、燗ってなあ酒の燗かい? いいの?」
「いいもなにも、ごめんなさいって、こういうわけじゃないか、呑んでおくれよ。お願いだよ」
「じゃあ……そうだな、じゃあ、お言葉に甘えて一杯」
盃が一杯になりました折に、増上寺のほうから、ゴーン、ゴーン……
「ああ、いいねえ、こんなすがすがしい気分で除夜の鐘を聞きながら、かかあと一緒に一杯やって年を越せるなんて、俺ぁ、なんて幸せ者だ」

  盃に水輪生れけり除夜の鐘     同

「うん、良い香りだ。うまそうだね。……鼻に寄せただけで良い気分だ。ほんとにいいの? ……いっちゃうよ? ……ううん、やっぱりよそう」
「どうしてだい? やっぱりあたしのお酌じゃいけない?」
「いや、また夢になるといけねえ」
――二十句作品「芝浜」に寄せて、「芝浜」というお噺でございました。

落語の世界もそうなんだけれど、俳句も伝統と前衛という二項の対立の構図がかつてあり、それが今や軟化したのだとかなんとか。落語には伝統派から現れた後に決別して、伝統と前衛という対立の構図の外側に独自のトリックスター的地位を築き上げた、立川談志の存在があった。その活躍が偲ばれる。現俳壇に立川流に比較的近いものを求めるならば、結社でいえば「川」あたりになるのかもしれないなどと思いつつ、やはり今回取り上げる阪西敦子と宇井十間の二人は、それぞれ伝統と前衛の系譜の上に身をおく若手であると改めて感じられるし、それが角川編集部の狙いでもあるのだろう。二人の対照については後ほど述べるとして、ひとまず宇井十間の短文と作品を見ていこうと思う。
宇井十間はその短文「「俳句以後の世界」について」で、「我々の想像できない生の形式があるとすると、同じようにその論理も想像を超えているに違いない。卵から生まれる生命の形式があるとすれば、その体験は我々には理解できないものだろう。私が俳句で見てみたいのはそういう体験である」と語っている。……うん、よくわからん。ごめんなさい。
ただ、はっきりしているのは、彼は理解不可能な生の形式を俳句において体現しようとしているということだ。そして、それは一句一句に対する理解の不可能性を積極的に肯定するということでもある。
上に記したとおり、彼は理解不可能な生の形式の一つに、卵生の生物の生を挙げている。しかし、彼の二十句の題名は「胎生」。それは、僕らヒトの生まれ方にほかならない。

  胎生の生きものうまれ原爆忌     宇井十間

この「胎生の生きもの」という無分別が、あるいは卵生の生きものの知覚のあり方を目指すものなのかもしれない、と思う。もちろん、僕ら人間は、胎生の生きものも卵生の生きものも卵胎生の生きものも関係なく、分類学上で細かい仕分けをおこなってきた。しかし、実際には多くの人がイモリとヤモリの区別さえままならないのである。一方でイモリやヤモリから見たら、ウシとウマには大差ないだろう。ましてやヒトとサルとの間に、いかなる違いを見出すことがあろう。
ところで、アブラムシやミジンコの多くが胎生であるということを聞いたら、みなさん驚かれるかもしれないけれど、どうやらそうらしい。「胎生の生きもの」という表現は、そういう、あまりにも包括的な表現なのだ。
そして、そこにこの作者は、「原爆忌」という季語を置いた。そのことでこの句は、生命とは何か、という問いを改めて僕らにつきつけてくる。

  からすあげはきえて歴史のはての雨雲     同

そして、この二十句をつらぬくものは時間と空間の感覚だ。それはおそらく、生きるということが一連の運動だからなのだろう。時間と空間がなければ運動は存在しない。生とは一種の運動である。したがって、時間と空間がなければ生は存在しない。白昼夢のように消え去った、からすあげはの黒い翅――不規則に飛び去るその動きが、僕らの心を歴史のはてへと誘うのだろう。

  とんぼの交尾 その眼中にだれもいない広場     同

こちらは空間の表現である。僕らが空間を認識するのには、五感で言えば視覚・聴覚・嗅覚を使うことが出来るが、やはり通常は視覚がいちばんの助けになる。それはおそらくとんぼも同じだろう。しかし、あの複眼で世界がどう見えるのかということについては、実のところよくわかっていないようだ。そして、それは今後も変わらないだろう。なぜなら僕らの眼は複眼ではないし、人間の脳ととんぼの脳は別物だから、とんぼの眼中にだれもいない広場がどう映り、それがどう知覚されるのかは、人間には分からない。振り返ってみれば、僕らにはとんぼが交尾するときになにを感じているのかだって分からない。それらは僕らには理解不可能な体験だ。

  蝌蚪生まれ大いなる影しばらく在る     同

そしておたまじゃくしの誕生。両生類は卵生だ。「蝌蚪生まれ」はおたまじゃくしを見ている視点から捉えた言葉だろうけれど、「大いなる影しばらく在る」はどこかおたまじゃくしの視点からそれを捉えた言葉であるように感じられる。この句では、何者か分からない「大いなる影」の理不尽な巨大さが、ヒトとカエルの差異をなくしてしまっている。

ところで、「渇望に堪えない句は、単純なる事棒の如き句、重々しき事石の如き句、無味なる事水の如き句、ボーッとした句、ヌーッとした句、ふぬけた句、まぬけな句等」と言ったのは高浜虚子だ。だから、「芝浜」の二十句に、どこか「ヌーッとした」、あるいは、「ボーッとした」印象があるのは、作者が「ホトトギス」という結社を通じて虚子の師系を継承していることを考えれば、充分に納得できる。「ヌーッ」や「ボーッ」の現代的なスタイルが、これは「芝浜」に限らず、この作者の俳句にはよく現れている。そして、その魅力はまさに「ヌーッ」「ボーッ」としたものだから、評することが難しい。

  極月や跨げさうなるもの跨ぐ     阪西敦子

この句の「跨げさうなる」物体Xは、ただ「跨げさうなるもの」としてそこにある。

  去年今年貫く棒のごときもの     高浜虚子

「跨げさうなるもの」の句を読むとき、やはりこの句のことを思い出さずにはいられない。ただ、虚子の「棒のごときもの」が最初から「去年今年」を「貫く」抽象的な感覚の言いであるのに対して、この「跨げさうなるもの」という言い方は、なにかしらの実物を抽象化するという工程を経ているようだ。そしてそのことが「ヌーッ」とした感じをより高めているように思う。
しかし、それにしても、「ヌーッとした」、「ボーッっとした」俳句が、「胎生」のうちにもかなり見出されるようなのはどういうわけだろうか。「胎生のいきもの生まれ原爆忌」も「蝌蚪生まれ大いなる影しばらく在る」も不可知な要素をはらんでいるということは、なんとなく述べてきたところだけど、その不可知なところが、質感として「ヌーッ」とし、「ボーッ」としている。不可知なものの質感は一通りではない。不可知なもののなかにも、もくもくふわふわした不可知があり、グッチャグッチャバッコンバッコンした不可知があり、ぺらぺらひらひらした不可知があり、まだまだあり、「ヌーッ」「ボーッ」は不可知の質感のほんの一種類に過ぎないはずで、なのになぜ「胎生」は「ヌーッ」「ボーッ」なんだろう。今に至っても、それだけ虚子の影響力は強いということなんだろうか。
しかし、比較で言えば「胎生」のほうがまだ、内容的なものを論じる的なことが出来そうではある。あからさまに分からないものを作り出そうとすることが、なにか逆に、知を、論理を呼び寄せているような、そんな感じ。まあ、結局は誘い込まれた論理が肩透かしを食らってしまうわけだけれど。
それに比べると、「芝浜」の二十句は、なんかもう最初っから知とか論理とか、そういうところとは無縁みたいだ。こんなことを書くと「んなこと言ったってこの作品は落語の芝浜を下地にしてんじゃねえのか」なんて言う人がいそうだけれども、それは、あなたがこの文章を読んでくださったからそう思うっていうだけかもしれないわけで、たとえば「小箪笥のもの取り出しぬ」とあって、題名が「芝浜」だから、この「小箪笥のもの」は本当は革の財布のことを言っている、なんて、言えるわけない。僕もそんなことを言うつもりはないし、手の内を明かせば、今回の文章で落語の「芝浜」の中に俳句を挟み込むかたちをとったのは、落語の「芝浜」との連動を楽しみながら、かつ、そうした断言を避けるためでもある。逆に言えば、もちろん、「小箪笥のもの」は革の財布でもいいわけだけれど、それは、正解、ではない。「小箪笥のもの」は小箪笥に入るものならなんでも構わないのであって、へそくりでも、印鑑でも、裁ち鋏でも、絆創膏でも、クリスマスプレゼントでも、なんなら猿の手首でもいい――いや、さすがに猿の手首はないか。
けど、こう書いてみると分かるけれど、実のところ、この「小箪笥のもの」は、革の財布を含めて、どれであってもいまひとつしっくりこない。これもやっぱり「小箪笥のもの」としか呼びようのない何かしらの物体Yであるという、そこから先は書かれていないんだから、決め付けることなんて出来るはずがない。
よく、芸術における省略は、受け手の想像力をかきたてることで作品に魅力を与えるというようなことが言われる。けど、それは違うだろう。想像力をかきたてられるから魅力的なんじゃなくて、魅力的だから想像力をかきたてられる。だから、優れて芸術的な作品において、僕らは省略されたかたちに対して欠落よりもむしろ充足を感じる。それは、白黒のサイレント映画を見るときに、いちいち「本当は何色なんだろう」とか、もし声を入れるとしたら声優は誰がいいとかいうことを思ったりしなくても、その映画を充分に堪能できるといったことに現れていて、つまり、優れた作品は、提示されたあるがままの姿が、想像力によって美化されなくても、そのままで充分に審美的だということだ。
噺家がある人物をまさに演じている間は、そのほかの人物は誰にも演じられない。噺家は変装をしないし、扇子と手ぬぐいであらゆる小道具を表現する。そこには省略があって、そのことが落語を魅力的に感じさせるところがあるのは確かだ。けれど、落語の省略が魅力的なのは、それによって想像力をかきたてられるからじゃない。そうではなくて、省略がもたらす話芸の簡略さそのものが、粋であって、魅力的なんだと思う。
俳句においても、書かれていることがすべて、っていうのは、まさしく、そういうことなんじゃないだろうか。