『季語別 鈴木真砂女全句集』を読む 第一回

今年、角川学芸出版から、『季語別 鈴木真砂女全句集』が発売されました。これまではまとめて見ることのできなかった、真砂女の最後の句集『紫木蓮』以後の発表作が、この季語別全句集の末尾に、収録されています。また、季語別で並べられることで、真砂女の愛した季語や、彼女の句の特徴が、新たに見えてきます。

spica編集の神野紗希・野口る理は、俳人・鈴木真砂女の店「卯波」でアルバイトをしています。また、もう一人の江渡華子も、2人がいることもあってか、よく飲みにきてくれます。第1回の3人の座談は、そんなわけで3人の共通点でもある、卯波の真砂女の俳句について、新刊『季語別 鈴木真砂女全句集』をテキストに、語り合ってみました。

鴨川の老舗旅館吉田屋で生まれ、女将となるも、50歳で家を出て、銀座で卯波という店を出し、生涯をそこで過ごした真砂女。恋に生きたともいわれるその人生は、人に比べて波瀾に満ちたものでしたが、彼女の残した句は、多くの人々の共感を呼ぶものでした。その作品の魅力は、どこから来るのでしょうか。真砂女の句の面白さって、一体どんなところにあるのでしょうか。

●最新『季語別全句集』(角川学芸出版)から見えてくるもの

 

季語別を見て気がついたことってある?

季重なりが多かったんだなってこと、季語が重複している句があると。だから、季語っていう概念がどうあったのかなって。

真砂女さんのなかで?

そうそう。

でも、重なってるのって、たとえばお魚と月とか?食材と気候の組み合わせだったら、普通に季語じゃなくて食材として見てる、ってことで、重なっても仕方ないかな。

たとえば、海女のところにある・・・

それ、好きなんでしょ(笑)注:収録前の雑談でも華子の一押しだった句

「海遅日海女に細腰なかりけり」。これ、遅日の項目のほうに出てくんだよね。とってからきづいたんだけど、ほかにははまぐりとか、食材?季語っていうより、生活のものってかんじでとらえてるところがあるのかな。

そうだね。季語別を見ると、秋風の句がとても多いんだよね。秋風の項を見てもらってもわかるけど、取り合わせることが、食べ物とか日常のことが多いんだよね。

うんうん。

なんか、生き物、みたいなかんじ?「秋風や烏賊十ぱいの重さ提げ」。烏賊って結構重いよね。水っぽい重さ。重たいけどみんな死んじゃって、食べちゃう、そこに秋風の気分が通い合う、ていうかんじなのかな。

人生系も多いですね。

季語が重なってるっていうのでいえばこれもそうだよね。「干せばすぐ乾くハンカチ秋の風」。これは結構好きなんだけど。秋風は、傍題あわせて70句。傍題いれないで45句。ほかの季節の風に比べると、二倍以上の量。

舞台設定として、秋風の吹くような内容。

秋風って、冬が来る予兆、衰えてゆくさみしさみたいなものがあるよね。冬の風だと、冬になっちゃってるから「耐える厳しさ」なんだけど、秋風だと「衰えてゆくさみしさ」。「秋風の日本に平家物語」(京極紀陽)も、結局、「おごれるものは久しからず」っていう無常感が、秋風にとびつくんだよね。

終わりを感じさせるのかな。秋風って。

衰え、だと思う。

きゃぴきゃぴはしてないよね。

秋風を、真砂女さんは、生き物と組み合わせたり、人と組み合わせたりしてるんだよね。

いのち系。

そうそう。「秋風や牡蠣はがしたるあとの岩」とか。ああ、牡蠣が・・・みたいな。剥がれたあとって、がばっと色が違うから、その剥がしたってところを書くだけで、食べたってことが分かる。ああ、牡蠣……っていう。いのちひとつってかんじだよね。「亀、首を伸べてあはれや秋の風」とかね。これ、「あはれ」って言っちゃってるけどね。

うん(笑)これ、句に点が入ってる。ほかにもあったよね。切れてるってことを示すために点いれるのって、よくあるの?

珍しいよね。たしかに「亀首を・・・」だとちょっと窮屈だよね。「カメクビ」。「我が恋や秋風渡る中にあり」なんて句は、作り方がちょっと違ってるよねえ。

たしかに。恋で上5で切ってる。

「春風渡る中にあり」だったら、ぱあああっ、みたいな。「のだめ」みたいな。昨日、映画の再放送、見たんだよね。

……。

チアキ先輩~、みたいな。

……こういう句見ると、秋風っていうものに、私たちのもってるイメージっていうのがあるんだと思いますよね。真砂女さん以前から、脈々とあるイメージを、踏まえてる、のっとってるってことだよね。

そうそう。だから、抗う人というより、受け入れる人だよね、真砂女さんは。

それを、受け継いで、使って行くことで、どんどん次の世代にも濃くしてるって感じがするよね。

なぞってる。本意。「海老かかる網も海老色秋の風」とか、「秋風や烏賊十ぱいの重さ提げ」とか。人の、食べるとか、着るとか、生活の俗な部分があって、それが秋風と組み合わせられると、俗な部分でも、生きてるための必要なものってかんじがして、それがいとしく思える、ってところはあるかもしれない。

●格調は文体から

真砂女さんの句って、格調があると思う。「あるときは船より高き卯浪かな」「初凪やもののこほらぬ国に住み」「鯛は美のおこぜは醜の寒さかな」とか、このへんはやっぱり立派な句だよね。「あるときは~」の入りの感じ。今だけをいうのではなく、大きな時間を感じさせる上5だと思う。「卯波」の店の由来にもなった句だけど・・・

素敵だと思います。格調っていうのは、どういうところで出てくるか…今のだと、大きい景をとったということですか?

よりは・・・

よりは?

やっぱり言い方かな、形?『紫木蓮』以後の作品で「着たい食べたい五月の銀座歩きたや」を、「食べたやな着たやな卯月の銀座食べたやな」に推敲してる。推敲前は、まだ格調というか、トーンがどうどうとしてない。「やな」っていうと、舞台の上にいるかんじがする。

格調が現れるとすると、それはやっぱりかたちとか・・・

文体。

文体、そうすると、この三つの句に共通するのは、真砂女さんの句として、わりと身近なことや手の届く範囲のことではなくて、内容として、万物に共通するような言い方をするっていうところ、そこが格調が高いとするなら・・・

「このわたは小樽海鼠は中樽に」に比べたら、そうかも。そうすると、格調は文語が活きてるから、「かくも」とか「あるときは」とか「かな」ね、どの句にもあるんだけど・・・

かたちがいい。

そう、だから格調の良さっていうのは、必ずしも内容とはかかわらないんだけど、この3つの句についていうと、万物に通用する世の真理みたいなものに触ってるような気はしますね。

(来週へ続く)

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