2015年10月30日

慰霊碑の真白き遺憾恒信風

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日本では郊外とか報道されている印象なんだけど、マニラから車で片道3時間もかかるカラリヤというところで毎年八月十五日に行われる、比島戦没者慰霊祭に参加してみた。比日米の犠牲者を慰霊するとかいう碑が広い日本風の庭園の丘の上に建てられている。その日の参列者は日本人と日系人。二百人くらいいた。現地在住のビジネスマンその他とそのご家族の方々など。開会挨拶→グリークラブの皆さんによる唱歌の合唱が流れる中で献花→マニラ日本人会会長の挨拶(その時は渋滞による遅刻で順番後倒し)→閉会挨拶と、小一時間ほどで終了。閉会の挨拶では、時の大使が、日比の犠牲者に思いを致し、非戦の誓いを護る旨の内容の挨拶をしていた。時々の政権が気まぐれであっても、数十年単位の積み重ねの厚みのある国家間外交というものはもっと重いと思いたい。それにしても、1973年に建立されたっていうこの慰霊碑のデザインは、どうみても骨箱を白い風呂敷で包んだ形をしている。戦争のドラマや映画で遺族が抱えて泣いていたやつだ。台座に固められたままの動かないそれは、いまだ森の中で埋もれたまま帰国できない遺骨の象徴のようにもみえた。かつて40年前にあれを造った人達が何を思ってこのようなデザインを選んだのだろうと考えると、遺骨収集の不可能性への絶望や無念に思い至る。たぶん、そういうことなんだろうと、とりあえず解釈している。