菜の花の不確かなるが中洲に浮く
古代から中世にかけての山野境論はさきにふれたように、貴族や豪族、あるいは寺社による山野の囲い込みが強権的にすすめられた結果、その領有をめぐるあらたな紛争として顕著にみられた。こうして私的な開発にたいして、住民が慣行としておこなってきた山野における用役権が衝突することになる。荘園領主や寺社同士のあいだでくりひろげられた紛争は、それぞれの領域で用役に従事する住民間の境界争いでもあった。こうして相論では、相互の口論でことがすまされるだけでなく、武力による衝突に発展した。
秋道智弥(1995).『なわばりの文化史 海・山・川の資源と民俗社会』小学館 pp.126