2015年9月15日

コスモスへきのふの傘を探しにゆく

九月になり、雨の降ることがめっきり多くなった。自然と、傘を持ち歩くことが多くなる。ぼくの地元の列車では大きな駅につくとき、車掌さんも傘を忘れないようにアナウンスをしてくれる。東京ではアナウンスが自動で流れることが多いが、列車によっては雨の日には音声が傘忘れを注意してくれるものもある。日本語だけではなくて、英語でも注意してくれる。それはそれでいいのだけれど、なんだかちょっとさみしい。人々は誰も、そんな機械的な音声は聞いていない。やっぱり、車掌さん独特の節に耳が惹きつけられるのだ。総武線の「平井」駅を、どう聞いても「シライ」と発音している昔ながらの千葉訛りの車掌さんは、いつしか居なくなってしまった。

忘れ傘が揺れている。今月出たばかりの杉山久子さんの句集『泉』に、〈八つ手咲く一生に忘れ傘いくつ〉という句があった。ぼくが忘れてしまった傘は、今頃どこにあるのだろうか。誰かが偸んでくれていたら、と思うとすこしどきどきする。

大学生の俳句仲間のひとりである宮﨑玲奈が先日、ぼくの提げていた傘を見ながら思い出したように語り出した。彼女の演劇団体で演出をしている先輩が、傘を手に持つ場面で「男みたいな巻き方をして」と注文したらしい。女の巻いた傘は細長く整った円錐形をしているが、男の巻いた傘はバンドの部分が括れていてイカのような形をしていることが多い。その先輩の鋭さに、ハッとさせられたと。ぼくの傘は、イカの形をしていた。

傘の柄や持ち手の形でその持ち主の性を判別できるのが常だけども、巻き方を見てもなんとなく性別がわかるとなると、これはビニール製の忘れ傘でも男女がわかることになる。ひょっとしたら、推理小説のひとつのネタになるかもしれない。「いつから犯人が男だとわかったんですか? 右京さん。」「亀山くん、現場に残された傘を覚えていますか?」みたいな「相棒」のシーンを妄想してぞくぞくする。

こんなことを考えていると、うっかり傘を忘れたまま電車を降りてしまいそうになる。しかし、自分が濡れていることに気づかないほど妄想を深められるような人間だったら、それはそれできっと幸せに違いない