目つむれば受話器の奥に虫の闇
水道橋駅の目の前にある遊園地に通りがかった。いわゆる東京ドームシティである。ぼくの思う遊園地の花形といえば観覧車なのだが、ここの観覧車は車輪でいう軸やスポークといったものがない特殊な構造である。つまり、観覧車の中心は風が通り抜けるばかりだ。惟えば、遊園地には回転する構造物が多い。メリーゴーランドやティーカップの他にも、回転しながら上昇する空中ブランコみたいなやつとか、行ったり来たりする海賊船みたいなやつとか、名前はわからなくてもそれらは回っている。回転するものは、華やかである。
最近気がついたのだが、どうやらぼくは回転体や螺旋構造がうまれつき好きみたいである。工学的な知識はないがエンジンの構造を見るとゾクゾクするし(なかでもロータリーエンジンに夢を感じていた)、もっと幼いころには理容室の前に立っている有平棒をじっと見ている子供だった。動詞でも「まはる」や「めぐる」などは好きな動詞トップ10には確実に入りそう。うっかり、この連載のタイトルにも使ってしまった。
回転には遥けさを感じる。どこかへ行ってしまっても、やがて戻ってくる自律的な運動。そこには、寄せては引くさざなみを見ているような安らぎがある。穏やかに放出されていくエネルギーは、やがて空間へ拡散され敷衍されるだろう。限りなく零へ近づく摩擦係数は永遠を感じさせるが、決して零にはならないという無常。回転は永遠と無常とをめぐる象徴である。
例の観覧車はたしか、1周1000円弱くらいの値段だった。或る冬の夕暮に、恋人と乗った。はじめての恋人だった。お互いに制服を着ていたから、それは平日の放課後のことだったのかもしれない。暖房がきいていて、好きなBGMが選べた。マフラーにくちびるをうずめた。一周はあまりに短かった。その恋人との関係はもうとっくに終わってしまったけれど、あの時あのゴンドラには永遠とか無常とか、そんなものがどろどろとして混ざりあっていたような気がする。