2015年9月21日

戦争を巨人と思ふ夜霧かな

大学の学事歴が去年と変わったため、夏期の休暇が二三週間短くなった。個人的には長期休暇は長すぎると感じていたのでそれ自体はよいのだが、伴って祝日にも授業が行われることになったのがほとほと困る。吟行や句会の予定が合わない。文化庁が文化振興を唱えるなら、どうかぼくを句会に行かせてほしい。腹が立つので、学費を払ってくれている両親には申し訳ないが吟行句会と予定がかぶった日には自主休校しようと思う。こんな決意は戯れ言かもしれないが、しかしこのシステムは確実に「祝日」の意義を見失っている。こんな調子で土日もなくなって「月月火水木金金」なんて時代にならなければいいのだが、しかし、やがて戦争はやって来るだろう。少なくともぼくはそう予想する。現行の経済・社会・国家・環境のシステムが蓄積した歪みに耐えられるとは到底思えない。天災だけでなく、戦争も「正しく恐れる」ことが肝要である。

そんな鬱屈した雨の9月の朝も、ぼくは講義に向かわねばならぬ。満員の電車の中で救いを求めて見上げた中吊りに、森永乳業の広告があった。「リプトン」シリーズから「朝の紅茶」という商品が出るらしい。酷いネーミングだ。これは明らかにKIRINの「午後の紅茶」を意識したものだろう。モーニングとしての紅茶需要を掘り起こす狙いはいいとして、この名前はあまりに滑稽である。というか、最早パクりだ。いろいろと貧しい。

「午後の紅茶」と聞くと、富安風生の〈小鳥来て午後の紅茶のほしきころ〉を思い出す。「午後の紅茶」の担当者が風生の句からその言葉を見つけた、という逸話でもあったら素敵なのだが、どうやら単に「アフタヌーンティー」を訳しただけらしい。風生も、アフタヌーンティーに着想してかの句を書いたのだろう。ぼくは佳い句だと思っているが、しかし、俳句を書きはじめたばかりの中学生時代にこの句を歳時記で見た時、強いイメージの既視感と、ある種の俗っぽさをどうしても抱いてしまった。それはひとつには、ぼくがポスト「午後の紅茶」世代だからかもしれない。物心ついたときから、既に紅茶飲料といえば「午後の紅茶」だった。勿論、アフタヌーンティーのイメージはそもそも紅茶にまとわりついているが、抱いた俗っぽさは「午後の紅茶」というネーミングが既に膾炙していたからだろう。だから正直に言えば、ぼくにとって風生の句は「佳いと思えば佳いと思える句」に過ぎなかった。図らずも、風生はKIRINのせいで割を食ってしまった。小平霊園にある風生の墓に「午後の紅茶」を供えたら、怒られるだろうか。

二・二六事件の当初、ラジオを通した情報の統制が図られた。そのとき、逓信次官として事態の収拾に追われたのが富安風生こと富安謙次その人だった。いつの世も、午後に紅茶を楽しむくらいの余裕に満ちた世の中であってほしい、と願う。