2016年2月1日

待春や山のぐるりの道しづか

大山崎――

淀川へと大きく突き出したような天王山のその姿から、そう名付けられたという。山城国と摂津国の境に位置し、地形的にも京都盆地と大阪平野のつながる隘路部にあたるこの地には、西国街道という大きな道路が通り、かつてより大いに栄え、そのためたびたび歴史のスポットライトを浴びることとなった。

そんな大山崎の地も、明治新政府が樹立してようやく表舞台から身を引いたようである。お疲れさま、と言いたくなるけど、それを言うのはあまりにも畏れ多い。

現代のこの地に生まれ日々を送る身としては、静かな住宅の立ち並ぶ自然豊かな町であるここがかつてそのような地であっただなんて俄には信じがたいのだけれども、いまでは車や鉄道が人々の往来を担っていると考えれば少しは得心がゆく。確かにこの町には、国道や複数の高速道路・鉄道路線、新幹線さえもが通っている。いまも昔も少なくとも、交通の要衝であることには変わりないのである。

いや、少し嘘をついた。歴史の痕跡なんて、ちょっと散歩をしただけでもそこら辺に転がっていることに気づく。現代に生まれ、育っているけれども、昔のこの地の面影をちゃんと感じて生きている。なんて、こんな書き方したらこれこそ嘘っぽいけど、大山崎がかつて栄えていただなんて信じられない、なんて、つゆほども思っておりません。これは、本当。

京都府乙訓郡大山崎町(おとくにぐん おおやまざきちょう)。これが、僕の住んでいるところの、いまの名前。2月の29日間、奔放で、気ままで、ちょっぴり奥深い、そんな僕の散歩にお付き合い、していただけませんか。