2016年2月5日

銭の穴とほくの見えて春きざす

「河陽宮故址」の標石のすぐ裏には、「本邦製油発祥地」の標石が立っている。大山崎の人びとは、荏胡麻油を灯明油として八幡宮に貢進しており、それにより八幡宮の神人(じにん=下級神職)となった。大山崎神人というのはなかなか力を持った存在で、1222年には大山崎神人の不破関の通行料が免除されているし、足利幕府の時代には義満より『袖判御教書』によって守護不入の権を得てもいる。そもそも、「守護の人があれやこれや言ってきて困るんです」と幕府に直接訴えている時点で凄いことであることは確かだし、訴えたら訴えたで時の将軍義満さまがちゃんと対処してくれるというくらいだから、大山崎の人びとというのはただものじゃない。このころにはもう荏胡麻油の専売権を持っていたのである。だいぶ後の話にはなるが、織田信長も軍制に対して禁制を出しており(『織田信長禁制』1568<永禄11>年)、簡単に言えば、くれぐれも大山崎では勝手な行動をするなよ、ということである。ちなみにこの文書には「天下布武」の朱印があるのだが、これが最古の「天下布武」印であるのだという。

大山崎の油座も、楽座の政策によりだんだんと力を弱め、最終的には座が解体された。菜種油のシェアが高まってきたのも原因であろう。時代というものである。ちなみに、荏胡麻油にはα-リノレン酸が含まれていて、最近健康食品として注目を集めている。α-リノレン酸は、DHAやEPA(IPA)と並ぶオメガ3脂肪酸の一種で、これまた話題のチアシードも、このオメガ3脂肪酸を豊富に含んでいる。チアシードを事前に水に漬けておき、しっかりと膨れ上がったものをヨーグルトに入れて食べると、なかなかにいいものである。何より、よく噛んで食べるようになる。栄養分とか関係なしに、それだけで健康に良さそうな気がする。

こういう売り文句で売れば、荏胡麻油だって需要を失うことはなかったのだろうけれども、そこまでの商才を持った人はいなかったのだろう。まあ、こんな専門的な言葉を並べなくたって大丈夫で、現代の人びとでも、石鹸の売り文句に「高級脂肪酸使用」なんて書かれていたら良質の石鹸のような気がしてしまうくらいである。そもそも高級脂肪酸(炭素数の多い脂肪酸)を使っていなければ石鹸でない。まあでも商人の中にもとりわけ有名な人がいて、「油を注ぐときに漏斗を使わず、一文銭の穴に通してみせます。油がこぼれたらお代は頂きません」なんてパフォーマンスをして行商で成功をしていたのだが、ある日、「その商売の才能を武芸に向ければすごい武士になれただろうに」なんて言われたものだから一念発起し、ついに戦国大名に上り詰めた下剋上の典型の人物がいる。斎藤道三である。彼は「うつけ」と呼ばれていた信長の才を認め、最期は信長に美濃の国を譲るという遺言をのこし、長良川の戦いで散った。人を見る目にも長けていたようだ。だから戦国大名になれたんだろうけれども。

そんな信長も、天下統一を目前にして本能寺にて非業の最期を遂げる。そのまま明智光秀が天下を掌中に収めると思われたそのとき、思いもよらぬ速さで京に引き返してきた秀吉と戦火を交えることとなるのだが、その地というのが、ここ、大山崎なのであった。