2016年3月11日

空より声海よりも声三月来

東日本大震災から五年目の11日。五年前のことは、克明に記憶している。繰り返される余震。道路を埋めつくした車の列。公共の交通機関は機能を失い歩いて帰宅した。落下した歩行者用信号機。自宅の近くの高台に辿り着くと、海の方角には、黒煙がたちこめ、空を見上げると、今まで見たことがない赤黒い色が広がっていた。その時は、津波の事実はまだ知る由もなかった。夜ラジオが伝える信じ難い津波の被害。みちのくは一瞬にして悲しみに満ちる地となった。五年経ち海へ行った。いまだ瓦礫は、うず高くあり、かつて住居が有った痕跡として土台だけが残り、屋上に避難した学校施設は、無人のまま、閉鎖された門近くに解体予定の日程を知らせる工事予定の看板が置かれていた。犠牲者の名が刻まれた碑には、二才の文字もあった。震災直後とあまり変わらない風景に胸が痛くなった。痛い胸をおさえながら、残された私ができることは、何か深く考えた。今日11日は、耳をすまし亡き人の声に寄り添おう。今日私ができることのすべて。3月11日にできることのすべて。