2017年8月15日

緑陰の窓にぬひぐるみの背中

―――応募と投句

連作の賞や、句集の賞以外にも、一句の賞もある。

一句の賞は、気軽に応募できることから、町おこし的な役割をしている印象もある。
また、新聞の俳句欄やラジオやテレビ番組への投句も、特選制度や年間大賞があったりすることから、広く一句の賞であると言えるだろう。

句会でもいい、結社誌でもいい、投句するという行為は、賞に応募する心と似ているんじゃないかなあ。じぶんの句を読んで欲しい、選んで欲しい、という心。
そして反対に、一句の賞への応募は特に、句会や結社誌に投句する気分に似ているのかもしれない。

それは投句・応募にとどまらないだろう。
発表するとき、つまりじぶんの句を誰かの目にふれるところへ置くときにもまた、そういう心・緊張感を持っていないといけないんじゃないかなあ、当たり前だけど。

あまり関係ないけれど、思い出話をすこし。
学生の頃、NHK俳句・短歌の投稿句投稿歌の管理をするアルバイトをしていた。
届いたハガキを、選者ごと・お題ごとに分けて、100枚ずつの束を作る。これは結構楽しい単純作業。その姿は「お花摘んでるみたい」「遊んでいるみたい」と言われているくらいだった。枚数を確認しながら箱へ詰めて集荷を頼む発送作業も結構楽しい。
そしてインターネット経由の投稿を、ハガキ形式に直す、というのも主な仕事。これは結構しんどい単純作業。
スペース、Ctrl+a,c、Alt+Tab、Ctrl+v、Alt+Tabを、一日でだいたい二千回以上繰り返し。続けて、ひとつひとつのレイアウト調整。改行したり消したり文字サイズAlt+o,n,jの繰り返しをこれまた二千回以上。
その姿は「職人」「ロボット」と言われていた。自分の意思とは別に、指が勝手に動いていた。ほとんど写経だった。
で、それを印刷して、はさみでハガキサイズに切って、同じように仕分けて(メールボックスがひとつだったのだ)。
デジタルをほぼ手動でアナログにする、という、なんともはや。選者の方の選句が少しでも捗るようにと頑張る訳なのだが、絶対これもっといいやり方ある、と毎回思っていた。
それが3年ちょっと前。私の後任は、そういうのができるプログラム・システム、と聞いている。

◆次回は、黒岩徳将さんとおしゃべり