2017年10月9日

柱みな蔦の中なる狐狸の國

この地点において、「沖縄」を詠むということが、私自身を詠むこと、或いは「アイデンティティー」らしきものとイコールではないことに気付く。如何に私の経験に基づいて詠もうが、読みの段階で、私自身経験したことのない「戦争」をはじめとした「沖縄」のトピックとイデオロギーに回収され、均一に消費されてしまうのだ。
うっすらとした抒情を立ち込めさせながら、である。抒情の働きには警戒しておかねばならない。解決に似た働きに付き合わされて、一回きりにされてしまう。心地よく消費され、読み終えられてしまう。