2012年7月12日

蛾を模せる仮面や女王様と呼ぶ

ほかのなにものでもない

(…)今回の写真集でわたしがもっとも興味を引かれたのは「使いかけの電車のプリペイドカードを買わないかと訊く男」である。この男の思いが乗り移ったかのように、わたしは自分に問いかける――この男はプリペイドカードとともに「使いかけの」人生まで売ろうとしているのだろうか……。サミュエル・ベケットの戯曲に登場する悩み多き男たちを想像させる一枚だ。
 鬼海弘雄氏の作品が持つ奥深い美しさは、人間の運命に向けられたどこか物悲しいまなざしから来ている。被写体となった人たちが、一見、無意味な言葉やしぐさをあくまで貫き通そうとするのは、そうすることによって自分がひとりの人間――ほかの誰でもない、世界でひとりきりの人間になれるからだ。
アンジェイ・ワイダ「人間の運命に向けられた物悲しいまなざし」 鬼海弘雄写真集『PERSONA』草思社・2003年所収

「無意味な言葉やしぐさをあくまで貫き通そうとする」…そんな句がつくりたいものです。