2013年7月3日

a watermelon
spinning on my fingertip
therefore it is

意訳:わが指先に回るゆえ西瓜在り

西瓜は、日本では旬が立秋を過ぎるので秋の季語とされる。但し、暑い時に食べて涼をとるものでもあり、西瓜割りという夏らしい遊戯の影響もあり、『現代俳句歳時記』など一部の歳時記では夏に分類されている。中国でも路上の西瓜売りは夏の風物詩である(北京で食べた西瓜の何て大きくて、安くて、甘いこと! 北京郊外には西瓜博物館というバブル的施設もある)。ただ、ベトナムでは新年の水菓子であるし、欧米では季感はない。つまり、watermelonは季語ではない。

掲句の場合、季語的キーワードは西瓜ではなく、句の裡に隠されているJe pense, donc je suis(I think therefore I am。我思う、ゆえに我あり)というデカルトが提唱した命題である。英語でtherefore I amとかtherefore you areというと詩人ならだれでもデカルトのパロディーだとわかる。

掲句は五七四のリズムだが日本語の五七五に近づけたわけではなく、偶然である。訳の方はうまく七七五(一応定型)に収まってくれた。

ちなみに、西瓜は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯が原産とされているが、野生種のあるアフリカ南部の方が正しいとする説もある。四千年前にはすでにナイル川流域で栽培されており、西瓜の種は第十二王朝の遺跡やツタンカーメンの墓からも出土している。聖書にも古代イスラエル人がエジプトで食べた果物として記されている。世界最大の西瓜生産国である中国に伝わったのはだいぶ遅れて十世紀頃であるが、日本に伝わったのはさらに遅れて十四世紀頃である。ヨーロッパに伝わったのもほぼ同時で、イスラム商人経由で十三世紀頃とされる。食用として欧米に広まったのは十六世紀頃で、アメリカのインディアンもその頃に西瓜を栽培しはじめている。西瓜は、シルクロードで知られる西域の果物というイメージがあるが、実際はだいぶ違うようだ。

作者は西瓜をそのまま食べることを好まない。西瓜は6%が糖分、91%が水分で構成されているが、それを利用していつもカクテルとグラニテを作る。西瓜をミキサーにかけて濾したら(ほとんどが水分なのであまり水を足さなくてもミキサーが回ってくれる)、それだけで美味しいジュースになるが、そのジュースを冷蔵庫で十分冷やし、コアントローかアマレットを入れれば素敵なカクテルになる。また、コアントローかアマレットの他に蜂蜜を足し、アイスクリームメーカーに入れて冷凍庫で凍らせると美味しいグラニテになる。お試しあれ。

2013.7.3