命めくテレビの裏や冬近し   野口る理

今回の作品を読んでいて、掲句はあまり成功していないと思った。なぜ僕はそう思ったのだろうか。自己分析してみると、①発想に既視感があり②季語が最適と思えず③「テレビの裏」という表現に言いきれていない感じを覚えたから、ということになるのだが、本質的な問題はそれらとは思えない。うーん。

枝に積もるやうに咲くなり梅香る
浪のやうに蜻蛉集まり散らばれり
偽物のやうな本物とは金魚
旧友のごとき深夜の麦茶かな

比喩を使ったる理さんの句を拾ってみた。これらはおそらく、あまり成功していない。一方で、

我々はマトリョーシカぞ秋気満つ
翡翠に疾き水の色ありにけり

のような、発想を比喩ではなく断定した句、特に前者には魅力を感じた。おそらく、る理さんは瞬発的な発想が面白いので、比喩にしてしまうと普遍性が生まれてしまって鋭さが鈍るのではないか。個人的には、発想の鋭さを研ぎ澄ましたような狙い方をしたる理さんの句を読んでみたいと思う。

「声」(2012.11)より