梅園を歩けば女中欲しきかな   野口る理

 なんだか可笑しい句だ。可笑しさの源は「女中欲しき」だろう。「女中」という語はその存在とともに、現代ではほぼ見られない。ただ、思い出話の中になら出てくる。現在七十歳以上の、戦前の文化の中で子ども時代を送った人たちの中には、実際に「女中」の世話を受けた人がいる。ただこの人たちの思い出話では、「女中さん」と「さん」づけになる場合が多い。「さん」なしの「女中」という語に纏わるやや高慢でぶしつけな響きと「欲しき」という語の組み合わせがキッチュな趣を醸している。不在の者に対して一方的な主従関係をとっているわけだ。当世の流行なら「執事」となりそうなところ。「女中」の語の選択に味わいがある。

「眠くなる」(『俳コレ』邑書林、2011)より。