跳び箱のがらんだうなる青嵐  江渡華子

これまで述べてきたように、華子さんは印象的な動詞の使い方と感覚の繊細さを伝えるすべを持っているが、それが個性を制限してしまうことも起こっているように思う。掲句は、跳び箱が空洞であることと青嵐を取り合わせている。その把握は確かだし、青嵐の取り合わせも適切と言っていいだろう。しかし、その「普遍性」こそが、華子さんの句として見たときに面白さを発揮しきれていない原因であることも確かだと思う。普遍性があるということは、誰にでも思いつく可能性があるということだ。作者の強い個性の出た句を見慣れてしまうと、これらの句はときに平坦に見える。そういう句も連作の中には必要だと思うが、残っていく句は作家性が最大限に現れた句ではないかと考えている。

(「がらんだう」2012.06より)