百年は百たびの春船捨場  佐々木とみ子

百年たてば、百たび春が来る。当たり前といえばそこまでなのだが、「は」という助詞の接続によって、百年というのは百回春が来るということだ、と定義するようなニュアンスが出る。夏でも秋でも冬でもほかのどの季節でもなく、春。この明るさに身を置くとき、百年の間に起きたすべてのことがきらきらと光となって揮発していき、すべて忘れてしまうような感覚に陥る。もう使われなくなって捨てられた船たちは、そんな風に記憶を反芻し揮発させながら春の日に輝いているのだろう。百年は、人間の寿命の長さでもあるから、自然と老いについて思い至る句でもある。

第二句集『氷河の音』(津軽書房 2013年7月)より。
いきいきと言葉が言葉を引き連れてきて、気が付けばゆるぎなく一句を構成している、そんな質量のある句がたくさんのいい句集。書き抜いていたら多くなってしまった。

蝦蛄の足あかはらの足みちのくなり
柏餅ふわりと兄がきて泊る
もぐらの死田打ざくらも見ぬうちに
ひと吹きの雪の晴れまを糸買いに
蕗の葉をかざしてみれば羽黒山
郭公が鳴く清拭の時間です
寝棺にはしまふくろうの羽少し
いちげ咲く大きな靴の青年に
あまあかい冬のにんじん家族葬
きしきしと銀河のかたさ熔岩下る
色即是空しきそくぜくう汗垂らし
冬のダム覗いて誰も無力なる
じゃが芋の芽ぐむ赫さを過疎という
死ぬひとをはげましているうまごやし
夏とわに瓦礫にまじる哺乳瓶
生き抜いてくだされ風邪ばひかねよに
鳰よまた三月十一日がくる
手をひろげ北国の春これくらい