昭和61年8月15日永田書房発行『齋藤玄全句集』より
これがアップされる頃には西村麒麟、とうとう三十歳になっています。
多分何も変わりませんが、なんというか、わくわくしています。学生の頃にはなんとなく三十歳ぐらいになったらお金もあって、よろしくやってんじゃないかと思ってました。ま、もちろんそんな事はないです。
同級生や後輩は出世したり車買ったり家買ったり、パパになったりママになったり。なんというかもっと嫉妬するかなと思ってましたが、意外とそんな事もなく、むしろ嬉しいんだな。
僕は僕の三十代をひよろひよろと、誰よりも楽しげに軽く、生きていきたいと思ってます。皆様、これからもよろしくお願いします。
さて、第六句集の『無畔』を読んでいきます。これはお弟子さん達が編んだ遺句集ですね。
したたかに凍る一夜を百夜かな
この年、直腸癌が判明し手術。きっと夜になると波郷や桂郎の事を思い出していたでしょう。この句もきっとそんな夜。
人てふは影にすぎざり大旦
こんな寂しい大旦の句を僕は知りません。大旦を詠む時、僕は必ずめでたく詠むかと思います。読む時はこんな大旦も大切にしたい。寂しさは常のゆらゆら。
やうやくに月を浴(ゆあみ)の冬の鯉
命が細く寂しくきらきらと。
初蝶をとらふればみな風ならむ
命がふっと、煙のような
つばくろの疲労の川の幾すぢも
つばくろから疲労へと言葉が繋がれてしまう寂しさに心が痛みます。
炎帝は辣韮までも泣かせたり
辣韮「ふぇ~」
水打つて人ならぬもの待ちにけり
気になってはいけないものが気になって
厄日には池かたむけて鬱の鯉
あぁ悩み苦しむ鯉よ
いつまでも手足あそびの芒原
玄さんの俳句を読んでも僕は癒されはしません。けれども心が少し透く感じ、結構好きです。時には寂しさも読みたい。
ごくごくごく水のまことの寒の水
波郷のごくごくの句を思ってるんでしょうけど、このごくごくごく、水の透明感、冷たさが、あぁ、もう、ごくごくごく!
白魚をすすりそこねて死ぬことなし
絶句三句のうちの一句。齋藤玄、最後の最後まで清らかな魂でした。白魚のような、冬の鯉のような。
玄さんは今回で終りです、いかがでしたか?鯉の句多かったですね。
次は何しようかな
じゃ
ばーい