戻らぬものを待つ氷水が流れる  宇多喜代子

飲むための氷水が流れているのは、どうもおかしい。不穏な光景だ。手から落としてしまったのか。氷水を所有していた人が思われるからか、不安な気持ちを掻き立てられる。

  

「戻らぬもの」とは何だろうか。それでも待つのだから、戻ってきてほしいと切実に願うもの、しかし必ず戻らないもの。きっと、なにか“命”ってものにかかわることなんだ。取り返しのつかないことが起きて、それで失われた何者かを、それでも待つという心中の荒涼は、まさに「氷水が流れる」不穏な光景に象徴されるものだろう。

「待つ」「流れる」と動詞を羅列することによって、時間の経過が句に含まれ、そのことで、呆然として立ち尽くしたままの主体が立ちあがってくる。

  

第六句集『記憶』(角川学芸出版 2011年3月)より。彼女にとって初めての編年体の句集。第五句集『象』から10年経っての刊行にも関わらず、収録句は300句余り。一年に約30句という厳選だ。句集の造りもいたってシンプル、値段も1500円と手ごろだ。以前「最近の句集は華美、もっと手軽であってほしいわね」と話していたのを思い出す。掲句は、「沖縄南風原壕20号 十二句」と題された作品群の4句目。『記憶』というタイトルに深くうなづく。

 

『記憶』は、生きるってことの根っこの部分を、じっと見つめている心地になる句集。簡単な言葉で、ずっしりとした重たいものを、両手でしっかり引き上げてくるような、そんな句たちだ。

  

庭花火生者ばかりで手を繋ぐ

ここになら住んでよさそう薄氷

千年を還せ揚羽の眼を還せ

深呼吸止めるとこの秋も終る

送別やこの青饅に足らぬ何か

よき相の朝の燕とすれちがう

触らせてもらう津軽の木の林檎

日と月の違いを述べよ冬木立

子猫の名いまだ決まらず雨止まず

冬霞向うが見えぬではないか

春の鹿朝の空気を奪い合う

一瞬の前にうしろに葛嵐

春の雲並びて二つ繋がらず

今生に目玉をのこす雪兎

石塊か蟇か日本の日暮時

  

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