「葛湯」を溶かしているなにげない日常の光景。
くるくるかき混ぜていて、ふとかき混ぜる向きを変えてみたという。
「かきまぜてみる」という言葉の気安さの内になにか期待があるのかもしれない。
このささやかな反抗こそが日常そのものであるということに気が付いたとき、
私たちは「葛湯」の中にいるごとく日常から抜け出せないと悟るのだろう。
『七十二候』(邑書林、2013.12)より。
「葛湯」を溶かしているなにげない日常の光景。
くるくるかき混ぜていて、ふとかき混ぜる向きを変えてみたという。
「かきまぜてみる」という言葉の気安さの内になにか期待があるのかもしれない。
このささやかな反抗こそが日常そのものであるということに気が付いたとき、
私たちは「葛湯」の中にいるごとく日常から抜け出せないと悟るのだろう。
『七十二候』(邑書林、2013.12)より。