その冷えを掌にとどめたり桜餅  鈴木しづ子

 桜餅を前にすると、人は普通、その味や見た目の美しさを云々するものだが、しづ子は、掌に載せたときの、桜餅の冷たさを言いとめた。たしかに、桜餅は、濡れているせいか、常温でもひんやりとしているように感じる。「とどめたり」という積極的な措辞は、その冷たさまで慈しんでいるようだ。皿の上でお行儀よく、ではなく、掌の上に載せて食べるのだから、くつろいだ時間の出来事なのだろう。

師・松村巨湫は、しづ子から日々送られてきた大量の句の中から、選句をして、自らの主宰誌「樹海」に掲載していた。掲句は、その巨湫の選にもれた作品。巨湫の手許にあった、しづ子からの句稿に残されていた。新刊、川村蘭太著『しづ子』(新潮社・2011年1月)には、氏がしづ子について長年調査してきた結果に加え、新たに発見された、7300句に及ぶ未発表句が収められている。しづ子を語る上で、欠かせない資料だ。

師・巨湫が選んだ句には、センセーショナルでセクシャル・あけすけなものが多い印象があるけれど、実際にしづ子が残したたくさんの句を読んでいると、案外、等身大の彼女はこっちにいたんじゃないかと思えてくるような、ささやかな句も多い。つくられたしづ子と、本当のしづ子、何が本当かを私は知る由もないけれど、この桜餅の句などに、私は、等身大のしづ子を見ている。

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