しらつゆの容ほどけてこぼれけり   奥坂まや

容に「かたち」とルビ。
この句を口に出して読んでみるとき、自分の口のかたちを意識してしまう。
「しらつゆの」と言ったときの、受け口感。
「容ほどけて」と言ったときの、開放感。
「こぼれけり」と言ったときの、終了感。
基本的には、開いているというよりは、半開きな感じ。
半開き感は、きっと、この露の雫を、言葉を通して一心に見届けている無防備さか。
いや、あの、とても感覚的なことで、うまく言葉にできていないのだが、
言葉と音と身体感覚(口の動き)の調和、というものを感じ、句をすみずみまで楽しめる。
もちろん句の内容も、白露のきらめきと儚さ、「ほどけて」の巧みさなど論じるべき点はさまざまあるが、
それよりも、本来、韻律とはこういう快感があるべきものなのだということを強く思い知らされるのだ。

『妣の国』(ふらんす堂、2011.6)より。

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