夏にイモリを見かけた沼も、今は冬景色、ただただ蒲の穂が枯れているばかりだ、という句である。眼前の枯の風景は死の風景にも見えるが、そこに記憶のイモリの生々しさがふっとよぎることで、静かに死んでいるように思えた沼が、まだ生きて息をひそめている沼だという風に感じられてくる。
蒲の穂も、枯れた植物の中では、穂絮がふさふさとしているせいか、妙に生き物的な雰囲気をもった植物だ。泥臭い沼の風景の、たしかな現実の手触りが定着している一句。
「花鳥」2015年3月号より。同時発表作よりあと2句。
老松の幹の見返る前に春
抱きあへる枯うめもどき枯さくら