夫いまだ蜻蛉の捕まえかた知らず  江渡華子

蜻蛉を捕まえたことがないのか。捕まえたことがない上に、蜻蛉の捕まえ方すら知らないのか。そもそも、みんな蜻蛉の捕まえ方など知っているものなのか。

蜻蛉を捕まえることが、人間としてのひとつのステータスであるかのような言い方をしているのがおもしろい。「いまだ」、がいい。

前々回、「物語性というほどの不思議さ、深さはない。いい意味で、浅い。」と書いたが、浅いのに深いように書いている句がいくつかみられた。掲句も、そのうちのひとつ。

ふらここを押すのは夫夢でなほ 江渡華子

と、同じく夫の句でこのような句もあったが、下五の「夢でなほ」につくりもの感があり、こちらはあまり好きではなかった。掲句のような、あるようなないような、物語のようなそうじゃないような、でもやっぱり浅い句、が好きだ。