自分が持っていたのだろうか、子どもが持っていたのだろうか。ふと手が緩んでしまい、風船が風にのって飛んでいってしまった。追いかけるが、届くはずはない。
一瞬の動きを、「目で」「手で」と辿るように描写し、スローモーションの世界をつくり出している。そして、下五の「届かざる」。これはもっともすぎて、もはや拍子抜けしてしまう。びっくりさせてほしかった。でも、この当たり前すぎるオチ(オチというべきかは置いておいて)が、この句に明るい寂しさをもたらす。
春の気持ちよさと愁い、両方を合わせ持つ句だ。
明るい寂しさ、寂しい明るさ。丁寧なうごき、丁寧なおかしさ。
10日間、華子さんの句を読み、こんなことを思いました。
さて、明日からは、る理さんの俳句を読みます。