落葉してさうか昨日もさうだつた  市川葉

「さう」とは何か。二度繰り返される「さう」の指し示すものは何か。作者はそのsomethingを指定することのないまま「さうか」と悟り、読者から遠い場所へと一足飛びに遠ざかってしまう。そこにはただ落葉が降っているだけ。落葉に差す光の中で、この人は何かを知ったのだ。そしてそれは、今日はじめて出会った真理ではなく、「昨日もさうだつた」、ずっと前から知っていたことだったのだ。

「鷹」2016年2月号の葉さん発表の5句の、最後に置かれた句。この句を見たときになんだか嫌な予感がしたのだが、先週、訃報を受けて、改めてこの句を思い出した。

葉さんとは、ここ数年、長野県小諸市で八月に行われる「こもろ日盛俳句祭」で毎年お会いする機会があった。美しい気配をまといつつ、人懐っこさをにじませているようなところがある人で、ある年、周回バスで高原まで行って戻ってきたとき、同乗していた葉さんが降り際に「あげる」といたずらっぽく笑って、蝉の殻をくれた。私はそのさりげなさにうれしくなってしまって、そのまま、〈あげるわと言ってビスコと蝉の殻〉という句を作った。
透明感のある、少女のおもかげをのこした人だった。もう葉さんがいないのがさみしい。