新妻が風ごと振り返る 虹よ  神野紗希

(スピカ「虹よ」2015-5)

2015年5月から2016年4月までの作品をばーっと見直してみると、紗希さんに風の句が多いことに気が付いた。取り上げた句のほかに、「秋風か呼吸かモノクロの胎児」(スピカ「地球の風」2015-10)、「桃啜る地球の風はなまぬるき」(スピカ「地球の風」2015-10)、「風花やまだ母でなく父でなく」(スピカ「岸辺」2016-3)がある。

 思えば、紗希さんには、印象的な風の句が多い。高校時代からの代表句で、『光まみれの蜂』の巻頭を飾る「起立礼着席青葉風過ぎた」や虚子の「永き日を君あくびでもしてゐるか」のオマージュである「花菜風君洗濯をしているか」がある。前者は、「吹いた」ではなく「過ぎた」と風に動作の主体があって、どこか遠くへいってしまった風に心がほんのりと置かれている。後者は、遠く離れた親しい仲の誰かを、花菜風の輝きに触発され、思いを馳せている。

取り上げた句は、前述した「青葉風」「花菜風」の二句と違って、「風」が季語ではない。寧ろ、衣服のような、身に纏うものとして詠まれている。雨後の少し潤んだ風を身に纏って、振り返る。「虹よ」は、どう取ればいいのか。新妻の誰かに対する呼びかけか。それとも、詠嘆か。そのどちらでもあるのかもしれない。遠く、それでいて、いつか無くなってしまうかもしれないものを、新妻は、「虹よ」と〝言葉〟にしているのである。